結城浩
結城です。 ここ二、三日いろいろと思うことがあり、 祈ってみたり考えたりしていました。 どうも自分の中でしっくりこないものがあったのですが、 今朝、家内に話したらすごく気分が変化しました。 別に家内がすばらしいアイディアを出したわけでも何でもなくて、 ただ「ふんふん」と聞いてくれて、ときどき「これについてはどうなの?」と 問いを出し、そして最後に「うん、じゃあ祈っておくわね」と言っただけなんだけど。 私の心の中の重たい部分がほとんどなくなってしまったのを感じました。 人格的な交わり、なんて書くと重たすぎる表現だけど、 それがぴったりします。 私の方も、家内が愛を込めてていねいに聞いてくれることを期待し、 信頼し、思っていることを全部話す。心を開いて。 家内は家内で、簡単に決め付けたり反対したりせず、 まずはじっくりと全部話を聞いてくれる。 そのような「交わりの時」がすぎると、 何だか問題の大半はなくなってしまう。 そのようなことを実感した、今朝のひとときでした。 もちろん客観的には、問題は変化していないのかもしれないですが、 でも、問題が根元から吹き飛んでなくなっちゃうんです。 神さまへの祈りについても同じように思います。 愛をもって聞いてくれる人間が一人いるだけで、 こんなに変化するならば、 完全な愛をもって聞いてくださる神さまに祈るとき、 どんなに大きな変化が「私の」身に起こるだろう、と 私は考えます。そして期待して、信頼して、 心の中も全部さらけだして祈ろうと思うのです。 あなたの信仰の通りになる、というのが祈りの原則です。 私の祈りは聞かれない、祈っても現実は変わらない、 という(不)信仰を持っていればその通りになる。 いや、神さまは最善をなさり、私の祈りを必ず聞いてくださる、 という信仰をもって、いつも祈りたいと思っています。 人間だってそうですよね。 「こんなことあなたにいっても何の意味もないと思いますが」 という言葉ではじめる会話って、何かちょっと…ですよね。 やっぱり、 「あなたが聞いてくださることが、私にとっては大きな意味を持つんです」 という方がいいなあ、と思ったりします。 おっと、こんな時間だ。 いつも私のたあいもないお手紙を読んでくださって ありがとうございます。 「あなたが読んでくださることが、私にとっては大きな意味を持つんです」 ではまたねっ! (^_^)