結城浩
いまは家に帰る途中、電車の中です。 いつの間にか夜になってしまいました。 結城です。 あなたは、いかがお過ごしですか。 一日は短く、できることは限られている。 このプログラムを完成させて、この原稿を書き上げて、この調査のめどをつけて… などと心積もりしていても、時は夢のように過ぎていってしまうものです。 スターバックスコーヒーに着きました。 私の中では、自分の過剰な自意識に目を向けないことが時に大切になります。 ちょっと油断すると、世界中の誰一人として気にしていないことを くよくよと考えてしまうからですね。ごはんを食べて、落ち着いて、 スターバックスコーヒーで一息ついて、あたりをゆっくり見まわして、 リアルな人たちが、 笑ったり、歩いたり、モカバレンシアを飲んだり、 シナモンスコーンを食べたりするのをながめます。 そして私ももう一度、深呼吸して「祈らなくては」などと思っています。 20代のころ、自分のそばを時間がすりぬけていくのが 悔しいような、惜しいような、そんな気持ちでおろおろしていました。 いつのまにかそういう意識は少なくなりました。 現在の自分は「家族への責任」ということを意識するべき、 なのかもしれませんが、いつまでも私は子供こどもしていて、 どこか無責任な部分もあります。 無責任、というよりも「夢見る夢子さん」な部分が動いているのかもしれません。 人の話を聞きたがっている自分がいます。 「メサイア・コンプレックス」なのかな、とも思いますが、 そうではないかもしれません。よくわかりません。 私自身が人から話を聞いてもらいたがっているのかもしれません。 実は、今日は半日ほどコンピュータから離れて生活していました。 この手紙もスターバックスコーヒーのパンフレットの裏に ボールペンで走り書きしたものをタイプしなおしているのです。 何の話だっけ。 ロバ耳っていい企画だなあ、 とつくづく思います。人は聞いてもらうことが必要だからです。 もっとこういうページがネットに増えればいいのにと思います。 昔、「易者」になりたいと思ったことがあります。 もちろんクリスチャンなので占いをしたいと思ったわけではないです。 小さな席を道に作り、人の話をただ聞くという仕事。 ただ、聞く。 何もアドバイスしないし、何かを解決してあげるわけでもない。 ただ、相手の話に耳をすます。 いつ果てるともない誰かの話に耳をすましたいと思ったりするのです。 キラキラしたアドバイスをして、 相手が感動するというのを求めているわけではなく、 ただ、聞きたい。 相手は誰でもよくて、相手は私の方には何も期待しない。 ただ、聞き手が存在していて、話題は何でもよくて、 何を話しても怒られたりしない、という状況に、 私はなぜかとても意味があるように感じるのです。