女の子

Where is the truth?

結城浩

その女の子が乗ってきたとき、 電車の中で空いている席は私の隣だけだった。

紺のセーラー服を着ている。 たぶん高校生なのだろう。 黄色いプラスチックの髪留めをしている。 小さなハート型だ。 学生鞄は持っていない。 重そうな大き目の布のバッグを下げている。 小柄でピンクのマフラーをしている。

そういえば、今日は寒かったな、と私が思っていると、 その子はするすると隣の席に座って、 ひざの上に重そうにバッグを載せ、 ふう、と一息つく。

バッグには筆記体でWhere is the truth?というししゅうがしてある。 最後のthが曲がっていたから、きっと手作りなのだろう。 座ってすぐ、彼女はバッグから大きくて黒いハードカバーの本を取り出す。

Knuth, Ronald, Patashnikが書いた、 "Concrete Mathematics"の邦訳だ。

私はちょっと驚く。 女の子は、 細長い水色のしおりがはさんであるページを開いて、 熱心に読み始める。 とてもおもしろそうに読んでいるから、 もしも向かいの席から見たなら、 この女の子はハリー・ポッターを読んでいるのだと勘違いされるかもしれない。

でも、Knuthの本だ。 私は、隣から、ちらちらと視線を本に向ける。 シグマがたくさん出てくる。 本文中の数字はEulerフォントだ。 ページのマージンは広めにとってある。 間違いない。

どこを読んでいるのだろう。 練習問題のところみたいだ。 離散対数、という単語が見えたような気がしたけれど、はっきりとはわからない。

と、その子は急に頭を上げて、電車の吊り広告に目を向ける。 でも吊り広告を見ているわけじゃない。 頭の中で数式を変換しているのだ。

駅についたので私は席から立ち上がる。彼女は座ったままだ。

電車から降りながら、私はその子のほうをちらっと振り向く。 彼女は"Concrete Mathematics"の後ろのページをめくろうとしている。

きっと、巻末の解答を見て答え合わせをするつもりなのだろう。

Where is the truth?

(2002年11月8日)