青い石

結城浩

彼と別れて三日間、あたしは会社を休んで泣き続けた。 二階のベッドの中で、あたしは泣き続けた。 一度だけ、母が上がってきて何かどなったけれど、 あたしの泣き声を聞くと降りていった。

会社も、母も、世の中もどうでもよかった。 彼はあたしから離れていった。 あたしは泣き続けた。 枕に顔を押し付けるようにして泣いた。 何回も枕を殴りつけた。 彼は、もういない。 あたしはそのまま眠り込んだ。 夢の中でも泣いた。

三日目の朝、目を覚ますと、左手の中に小さな石があった。 手のひらの中にすっぽりおさまるほどの石だ。 うずらの卵を押しのばしたような形をして、淡く青く光っている。 あたしの涙を集めたように。

あたしは、青い石をしばらく眺めていた。 どこかですずめが鳴いている。 もう起きよう。 階段を降りてダイニングに入ると、母は一人でトーストをかじっていた。 あたしの顔を見ると、母は黙ってパンを一枚トースターに入れた。 無言のまま母と一緒にトーストを食べながら、 あたしはテーブルの下、左手であの石を握っていた。

先に食べ終えた母は、 テーブルのあたしに背を向け、皿を流しで洗いながら、 聞こえよがしにため息をついた。 口の中で、つぶやく声が聞こえてきた。 親の気も知らないで、この娘は。 親の気も知らないで、この娘は。この娘は。この娘は。

あたしは、ジュースを口に運ぶ手を止め、左手に力を入れた。 石が手のひらに食い込んだ。 コップをテーブルに置き、 お腹に力を入れて、息を吸い込んだ。 母の洗う皿の音が聞こえる。 あたしは、言い返すのをやめ、ジュースの残りを飲み干した。 この人には分からない。あたしの気持ちは、この人には分からないのだ。

あたしは駅に向かった。 携帯で会社に電話を入れた。 課長が出た。無断欠勤をわび、これから出勤すると告げた。 落ち着いて話そうとしたが、うまく声が出なかった。 嫌味を言われるかと思ったが、 課長は「わかった、気をつけて」と言っただけだった。 きっと早く電話を切りたかったんだろう。

電車の窓の外は、いつもの景色だった。 彼と別れて死ぬかと思ったのにお腹はすく。 世界は終わったと思っていたのに、 あたしは会社に向かっている。 こうやって電車に乗っている。 会社で仕事をするために。

あたしは、左手の中に青い石をまだ握っていた。 お守りにしようか。 知り合いの業者に頼めば、 綺麗に穴をあけてペンダントにしてくれるだろう。 そうすればあたしは……。

いや、いらない。 この石は、もういらない。 あたしは、今日からまた、 すました顔で会社に行くんだ。

電車を降りて改札を出ると、 スーツを来た見知らぬ男性が前を歩いていた。 あたしはそっと近寄ると、 その男性のカバンに青い石をすべりこませた。 そして立ち止まり、その人を見送る。

さようなら、あたしの涙。

(2002年6月25日)