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第1回 問題編 |
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こんにちは、結城です。 たくさんのご投稿をありがとうございました。 投稿された解答のすべてを掲載・コメントすることは量的にできません。 ご了承ください。
掲載している文章は、投稿された中から選んでいます。 「練習」と「自由課題」のうち片方だけ掲載した場合もあります。 掲載されているのがよい文章とは限りません(わるい文章とも限りません)。
結城は、気になった部分を指摘します。 けれども、それはあくまで私の意見であり、 ひとりの読者の意見にすぎません。 絶対的な評価というわけではありません。 私のコメントよりも、 他の人の解答を読んでいるほうが参考になるかもしれませんね。
この「文章教室」は「読みやすく、分かりやすい文章を書く」のが目的です。 ですから、私がゆっくり読んで、 一度で理解できなかった部分を指摘していくつもりです。
私は、文章を読んで感じたことをできるだけ率直に書こうと思います。 もしも不愉快なコメントがあったらおゆるしください。
次の文章を、読みやすい文章に書き換えてください。
知識を持っていて文章を書けるような人は、 教えるような文章を書くのがよくて、 自分の知識を他の人に伝えるような文章を書くのがよいが、 それは、 自分の知識を誇る目的ではないし、 自分の能力を誇るためでもなくて、 自分の知識や能力を使って、 他の人を助けるために書く文章だ。
知識を持ち、文章を書ける人は、教える文章を書くのがよい。 自分の知識を他人に伝える文章を書くのがよい。 そうするのは、自分の知識や能力を誇るためではない。 自分の知識や能力を使って他人を助けるためだ。
知識の豊かな人が文章を書く時に、気をつけなければならない事がある。 それは、自分の知識や能力を誇るために文章を書かない、という事だ。 むしろ、他の人を助けるためにそれらを使うところに、 文章を書く真の目的があるのだから。
知識を持っていて文章を書けるような人は、自分の知識や能力を使って、 他の人を助けるために文章を書く。 それは、自分の知識を誇る目的で書くのでもなく、 自分の能力を誇るために書くのでもない。 教えるような文章を書くのがよくて書くのである。 また、自分の知識を他の人に伝えるような文章を書くのがよくて書くのである。
知識を持っていて文章を書けるような人は、 自分の知識や能力を使って自分の知識を他の人に伝えるような文章を書くのがよい。 それは、自分の知識を誇る目的ではないし、 自分の能力を誇るためでもなく、他の人をたすけるためだ。
文章を書くことで、自分の知識を他の人に伝えることができる。 自分の知識や能力を誇るのではなく、他の人を助けるために文章を書くと良い。
知識を持っていて文章を書けるような人は,自分の知識を他の人に教えたり, 伝えたりするような文章を書くのがよい。 しかし,それは自分の知識や能力を誇るためではなく, 自分の知識や能力を使って,他の人を助けるためである。
文章を書くときは、 知識や能力を誇ることなく、 教えるように文章を書き、 知識を伝えるように文章を書き、 人の助けとなるように書く。
あなたが知識を持っていて文章を書けるのであれば、教えるための文章を書くのがいい。 あなたの知識を他の人に伝えるのだ。 あなたの知識を誇るためではない。 あなたの能力を誇るためでもない。 あなたの知識と能力を使って、他の人を助けるための文章を書こう。
知識を持っていて文章を書ける人が、 自分の知識を他の人に伝える時は、 教えるような文章を書くのがよい。
それは自分の知識や能力を誇るためではなく、 それらを使って他の人を助けるために書くのです。
何かを伝えようとするならば、自分の知識が他の人に伝わるように書くべきだ。 書くという行為は自分の知識や能力を誇るためではない。 読者の手助けをするために、 自分の知識や能力を使って「教えるように書く」という姿勢を忘れてはならない。
あなたが何らかの知識を持っていて、文章を書けるなら、それを教えるような文章を書くと良い。 そうすれば他の人に知識を伝えることができる。 あなたはその文章を、自らの知識や能力を誇るために書くのではない。 自らの知識や能力で、他の人を助けるために書くのだ。
その1(素直に短くしてみました。)
知識を持ち、 文章を書けるような人は、自分の知識を他人に伝え、教えるような文章を書くのがよい。 この文章は、知識や能力を誇るためのものではない。 自分の知識や能力を使い、他人を助けるために書く文章である。
その2(文章を根本的に変えました。これでは練習にならないですよね?)
テクニカルライティングでは、自分の知識を他人に伝え、教えるような文章 を書くことが望ましい。気をつけるべき点としては、知識や能力を誇るため に書くのではなく、知識・能力を用いて、他人を助けるために書くべきであ るということが挙げられる。
書くための力と、書くに値する知識。 それを兼ね備えている人は、自分をひけらかすための文章ではなく、 人に教え、助けとなる文章を書くのがよい。
知識があり、また文章の書ける方は、 人の手助けになるような文章を書くのがよいでしょう。 たとえば、教えたり、自分の知識を伝えるための文章です。 ただし、その文章のなかで、 自分の知識や能力を誇ったりしないように注意しましょう。
知識を持っている人は、それを他の人に教え、 伝えるような文章を書くのがよい。 それが、自分の知識、能力を誇るためではなく、 他の人を助けることになるからだ。
(原文を生かしたもの)
自分の知識を文章で表現しようとする人は、それを他の人に教える ように書くのがよいでしょう。つまり、自分の知識を他の人に伝え るように書くのです。しかしそれは、自分の知識を誇るのが目的で はありません。ましてや、自分の能力を誇るためでもありません。 自分の知識や能力を使って、他の人を助けるために書くのです。
(とにかく短く)
自分の知識を文章で表現するときは、他人に教えるように書くのが よい。自分の知識や能力を誇るためではなく、他人を助けるために 書くのだ。
(私はこういう文章が好みですけど)
自分の知識を文章で表現するときは、 その知識を他の人に教えるように書くことをこころがけましょう。 そのときに、自分の知識や能力を誇ろうとしてはいけません。 教えるための文章とは、他の人を助けるためにあるのですから。
柴田純一さんからの感想(抜粋) 今回の課題ですが、まず「何がいいたいのか」をつかむのに、 時間がかかってしまいました。 練習課題は次の5文に分割できますよね。 (1)知識を持っていて文章を書けるような人は、 教えるような文章を書くのがよい。 (2)自分の知識を他の人に伝えるような文章を書くのがよい。 (3)(しかし)それは、自分の知識を誇る目的ではない。 (4)(また)自分の能力を誇るためでもない。 (5)自分の知識や能力を使って、他の人を助けるために書く文章だ。 この内のどれが主題かによってさまざまなアレンジができると思います。 私は、「いいたいことは最初に」と思いますので、今回は(1)を主題にしてみました。 結城さんや他のみなさんはどうなのでしょうか?
知識を持ち文章を書ける人は、教えるための文章を書くのがよい。 他の人に伝える文章を書くのは、自分の知識や能力を誇るためではない。 他の人を助けるために書く文章だ。
知識を持っていて文章を書けるような人は 自分の知識や能力を誇るためではなく、 他の人を助け、その知識を他の人に伝えるような 目的で教えるような文章を書くのがよい。
1.ほかの人の文章をリライトする場合
知識があり文章を書ける人は、自分の知識を他の人に教えるような文章を書くといい。 それは、自分の知識や能力を誇るためのものではなく、他の人を助けるために書く文章だ。
→ 原文の表現をできるだけ尊重しました。
2.短文至上主義的に書く場合
知識。ある。書く技術。ある。そんな人は「教える文章」を書くといい。 知識を誇るためではない。技術を誇るためではない。 技術を使って他の人に知識を伝える。知識がなく困っている人を助ける。 そのために書く。
→ この手の文章が好きな人もいそうです。
3.自分の文章で書く場合
知識がある。文章を書ける。そんな人は、自分の知識を他人に伝える文章を書くといい。 知識を誇るためでも、能力を自慢するためでもない。 困っている人を助けるために、持てる知識と能力を使おう。
→ ちょっと文意が変わりました。
「知識」や、「文章を書く能力」を持っているような人は、 それを誇る目的ではなく、それを教えたり伝えたりするような、 他の人を助けるための文章を書くべきだ。
知識があり、文章を書く事の出来る人は、それを誇るために文章を書いてはいけない。 自分の知識が他の人に伝わり、役立つような文章を書くのがよい。
あなた、物知りねえ。 文も書けるの? だったら、あなたの頭の中身を書いて御覧なさいよ。 あ、噛んで含めるように丁寧にね。 だいじょうぶよ、だれもあなたのこと自惚れやさんなんて思やしないわよ。 役に立つって、思ってくれるわよ。
知識を持ち、その上分かりやすい文を書くことのできる人は、 自分の知識を他人に伝えるために文章を書くと良い。 しかし、文章を書くことは、自分の知識や能力を誇るために行われることではなく、 それを使って他の人を助けるために行うことだ。
知識を持っていて文章を書けるような人は 自分の知識を他の人に教えたり、伝えるような文章を書くのがよい。 しかし、自分の知識や能力を誇るためではなく、 それらを使って他の人を助けるために書く文章だ。
ステップ1:短文への分解
知識を持っていて文章をかけるような人は、教えるような文章を書くのがよい。 自分の知識を他の人に伝える文章を書くのがよい。 そのような文章は、自分の知識を誇る目的で書く文章ではない。 自分の能力を誇るために書く文章でもない。 自分の知識や能力を使って、他の人を助けるために書く文章だ。
ステップ2:構成の整頓
有益な知識を持ち、よく文章を書く人は、自分の知識を伝え、教えるように文章を書くのがよい。 そのような文章は、自分の知識や能力を誇るために書く文章ではない。 自分の知識や能力を使って、他の人を助けるために書く文章だ。
ステップ3:さらにアレンジして
文章は、自分の知識や能力を誇るためではなく、読者に教えるような気持ちで書くとよい。 そのように文章を書けば、読者に知識が正確に伝わり、人の役に立つことができる。
山羊さんからの感想(抜粋)
「長い文は読みにくく、短い文は読みやすいものです。」と言われることが多いようですが、 これには疑問を感じています。
例えば、今回の例文1「忘年会を今日、渋谷ですることになっていて、夜、渋谷のハチ公の しっぽで夜の7時に待ち合わせしているのだが、みんな遅れないで来るだろうか。」は、冗 長で美しくない文章ではありますが、わかりにくいところはないですし、誤解の余地もない と思います。駄文ではありますが、悪文ではないでしょう。
日本語でしゃべる時は、「・・・て、・・・て、・・・けど、・・・ですが」でつなぎ、 文を区切ることがないことが多いように思います。むしろ、しゃべる場合には、「文」という 単位がないといってよいかもしれません。
短文に区切らずにしゃべるからといって、必ずしもわかりにくいとは限りません。ですから、 長い文が読みにくいとは限らないのではないでしょうか。 (しゃべり方を文章の書き方に単純にあてはめるのは、やや短絡的ですが)
しかし、結城さんが書かれたように、校正する際に、単文に分解してから再構成するという 方法は有効だと思えます。
特に今回の課題文のように、単に一文が長いというだけではなく、論理的な構造が混乱して いる場合、わかりやすい文章に直すにはいい方法でしょう。
「長い文は読みにくく、短い文は読みやすいものです。」を、より正確に言い換えれば 「論理的な構造が混乱している文章は理解しにくい。長い文は論理的な構造が混乱しが ちだ。それを修正するには、いっかい短い文に分解してみるとよい」ということになる のでしょうか。
追伸
それにしても、今回の課題文は混乱の仕方が絶妙ですね。 パズルを組み立てるようなおもしろさがありました。
知識があり文章を書ける人は、 教えるように自分の知識を他の人に伝える文章を書くのがよい。 しかし、それは自分の知識や能力を誇るためではない。 これらを使って他の人を助けるためだ。
知識があり、かつ、文章を書く能力のある人は、 その能力を使って文章を書き、他の人に伝えるべきだ。 それは、自分の知識や能力を誇るためではなく、 他の人を助けるために書かれた文章だ。
知識を持っている人は、自分の知識を他の人に伝えるような文章を 書くのがよい。自分の知識や能力を誇るのではなく、それを使って 他の人を助けるために書くものがよい。
あなたの好きな本を紹介する文章を書いてください。 字数の制限はありません。
『小説作法』スティーヴン・キング
『小説作法』は、 ベストセラー作家が書いた文章の書き方の本である。
本書は、幼少時代の思い出から始まる。 そして下積みの苦労を描き、愛し合うキング夫妻の姿を描く。 やがてキングはアルコール中毒に陥るが、その中でもキングは書き続ける。 文章を書くことがキングを支えていた。 彼を中毒から救い出したのは妻タビサの献身である。
キングが書くのは思い出だけではない。 本書の中心にあるのは「言葉」だ。 小説は「一語一語」書くしかない。副詞を削れ。受動態をやめよ。 読者の反応を考えて書け。 第1稿はドアを閉じて(自分のために)書き、第2稿はドアを開いて(他の人から読まれることを考えて)書け。 キングは、正統的な文章の書き方を説く。
散歩中のキングを一台の車がはねとばした。 ヘリコプターが瀕死のキングを病院へ運ぶ。 キングは事故の後、5週間で文章書きを再開した。 このときもまた、文章を書くことがキングを支えた。 そして妻タビサの献身も変わらない。
文章を書いている人は、『小説作法』から多くを学ぶだろう。 夫婦の愛について考えている人もまた、何かを学ぶに違いない。
『 わが父、孫良源 』いのちのことば社 発行
<信仰の友へのメール>
こんばんは! お元気ですか?風邪などひいていませんか?
この間、本を読みました。『 わが父、孫良源 』です。 婦人会の会報にも紹介されていましたね。 重い、重い内容でした。 ただでさえ、読むことが苦手なのに、1週間もかかってしまいましたよ。 そんな中で、主人公一家が、どこまでも主に従う姿には、頭が下がっていきました。 孫師の長男は、息を引き取る直前まで、主を賛美していましたね。 ちょうど、ステパノの殉教と重なって、よけいに迫ってくるものがありましたよ。
君は、自分の殉教について考えた事がありますか? 最後に許されるなら、何を望みますか? 私なら、その日のために とっておきのジョークを用意して、 まわりの人を喜ばせてから天に帰りたい、と思っています。 うーん。でも、こんな事では、まだまだ殉教者には なれませんね。
私の好きな本は「伝説の雀鬼・桜井章一伝」(柳史一郎著、幻冬舎)である。
内容は、裏麻雀の世界で 20 年間無敗という伝説を持つ桜井章一氏の エピソード集となっている。裏麻雀とは、暴力団その他のいわゆる裏の 世界において、権利や大金を賭けて麻雀で勝負を行うものである。
エピソードは主に、強敵や好敵手との勝負の様子を中心として描かれている。 しかしその中で、細かい麻雀の技巧はあまり解説されていない。むしろ、 桜井氏が勝負にあたって気をつけた心掛けや、普段の生活態度が全体を 通して強調されている。
賭け事のプロというと、だらしのない人のように思われるかも知れない。 しかし桜井氏は、勝負に勝つには小手先の技巧に頼るのではなく、普段の 規則正しい生活と、人々や自然への感謝の精神が重要であると説く。
政治や経済の世界で成功した者がこのようなことを説くのは当たり前の ように聞こえるが、裏の世界で成功した者が主張するからこそ、脚色される ことなく直接に伝わってくる。
同書の中で私の好きな言葉は "土に返る" である。この言葉は、桜井氏が 一つの勝負を終えた後に普段の生活に戻って、気持ちを自然に返すことを 意味する。普段は自然の中に心身をおくことで、ここ一番の勝負で決して 揺れない心を作ることができるそうだ。
麻雀を少しでもやったことがあれば分かるだろうが、麻雀は将棋や囲碁とは 異なり、次の展開を予測できない運の要素を持つ。だから、どんなに強い 打ち手でも普通何回かは負けるものである。
桜井氏は、勝負に勝っても決して奢らず、土に返って謙虚な生活を心がけた からこそ、20 年間無敗という伝説をなしえたのである。
同書は、人生には幾つもの戦いがあり、それらに打ち勝っていくためには、 自然に沿った謙虚な生活を送ることが大切なことを教えてくれる。 麻雀を全く知らない人にも読むことを是非お勧めしたい。
「技術士一次試験徹底研究」(オーム社)。 昨年8月に刊行されました。 試験制度が変わって,今年から一次試験受験が必須となります。 これまでも過去問題集はいろいろ出ていますが, 解答例があるものはほとんどありませんでした。 本書は多くの部門を網羅し,代表的な過去問題の解答例を全て掲載しています。 技術士一次試験(技術士補になるための試験)に挑戦しようと思っている方, ぜひ書店で手に取ってみてください。(私も執筆に参加しています!)
青べか物語 山本周五郎作
かつての日本の風景を切り取ったようなお話です。 登場人物がとても個性的で楽しいです。
余談ですが、ちょっと前まで、山本周五郎の 文庫本のコーナーのない書店はなかったように 思いますが、最近は見かけないような気がします。
児童向けなのですが「にんきもののはつこい(森絵都文、武田美穂絵、童心社)」 がオススメですね。
この手のお話では「男子にもてる女の子=主人公のライバル」 という図式が一般的なのですが、この本ではその「にんきもの」が 主人公という掟破りをかましてくれます。
「私は将来魔性の女になるの」「金魚に負けた……」のくだりは爆笑間違いなしですよ。
私が好きな本は矢沢宰さんの詩集「光る砂漠」です。 彼は小さい頃から病弱なため入退院をくり返し、21歳でこの世を去りました。 この詩集は14歳から7年間の、彼の魂の叫びです。 大人でも子供でもない、人生の中のほんの数年。 人はそれを思春期と呼び、いつか忘れてしまう年月ですが、 彼はその中でのみ、短い人生を昇華したのでした。 彼の詩を読む時、その濃密な憧れや、甘い懐かしさが、 もう終わった私の思春期を思い出させるのです。
お勧め本。
『タオ—老子 』加島祥造:筑摩書房。
僕はこの本を今年買い、買って暫く読まずにいて、少し前に読みだして、 それから何度も読むようになった。この本がいいのは絶対に加島祥造さんの 才能のせいで、内容は、老子の全81章の翻訳なんだけど、帶文には『全訳、創造詩』 と書いてある。本当にその通りで同じ部分の翻訳でも、他の翻訳とは全々違っている。 そして断然、この本の翻訳がすばらしい。 たとえば、
『 その時、君のセンターにあるのは タオの普遍的なエナジーであり、 このセンターの意識は、永遠に伝わってゆく。 』
『タオの道は世界に行きわたっている。 けれどもそれは世界じゅう旅して廻ったって 見つかりやしない。 インターネットの「ウインドウ」を いくら覗きこんだって、分かりゃしない。 』
『道(タオ)につながる人は 柔らかなのだ。 その柔らかさは、ベビーの柔らかさだ。 』
とか、他にはなさそうな翻訳でしょ?大昔の人間である老子が 「インターネットのウインドウ」なんて書いてるわけないし。 ベビーとかエナジーとかグローバルとかいうカタカナ語をそのまま使っていて それがいい感じ。この加島祥造と言う人は、詩人であり、英文の翻訳者でもある。 この本のあとがきには
『 老子は二千五百年前に中国にいた人とされている。彼の思想が二十世紀のはじめに、 欧米社会に甦った。Zen(禅)とTao(老子)は西洋の知識人の間に深く受け入れられて、 いまもそれがつづいている。これは欧米の人と話せばすぐに実感される。この欧米に 甦ったタオイズムの波が、東洋人である私に達したのだった。私は西欧文化に甦った 「老子」を英語からキャッチした。それ以前の私は、現代のこの国の多くの人と同じ ように、原文や和訓を読んでも、「老子」が分からず、「老子」とは理解できないもの、 ときめこんでいた。
各章の終わりに原文を掲出したが、これは原文と私の訳がいかに違うかを察して もらうためだ。たとえば、私は原文の「聖人」を「タオにつながる人」とし「無」や 「無名」を「名の無い領域」としている。このような自由な口語化を、私は全章にわたって 行なっている。 』
とかって書いてある。とてもいい本です。僕はこれから何年もこの本を開き続けるという 気がしてます。
結城なら、まず、次のように分解します。
僕はこの本を今年買った。 買ってしばらくは読まなかった。 少し前から読み出した。 そしてそれからは何度も読むようになった。
この本は『老子』全81章の翻訳だ。 帯には『全訳、創造詩』と書いてある。 本当にその通りだ。 『老子』の翻訳はたくさん出ている。 けれど、加島祥造さんの翻訳が最高だ。 他の訳者による翻訳とはまったく違う。
たとえば、 (中略)
と書いてある。 これは、とてもいい本だ。 僕はこれから何年も、この本を開き続けるような気がしている。
それから、さらに次のように書きます。
僕がこの本を買ったのは今年のはじめだ。 でも、すぐには読まなかった。 あるとき、 何気なくこの本を開いてからは、 何度も読み返している。
この本は『老子』全81章の翻訳だ。 『老子』の翻訳はたくさん出ているけれど、 加島祥造さんの翻訳が最高だ。 他の訳者による翻訳とはまったく違う。 帯に『全訳、創造詩』と書いてある通り、 加島さんの翻訳は、単なる翻訳ではないのだ。
たとえば、 (中略)
と書いてある。 これは、とてもいい本だ。 僕はこれから何年も、この本を繰り返し開くことになるだろう。
私のお気に入りの本を紹介します。 私はシステムエンジニアですので、若手エンジニアを対象として、 ネットワーク基礎技術に関する解説本を1冊紹介したいと思います。
私のお気に入りの本は、マスタリングTCP/IP(入門編)です。
http://www.ohmsha.co.jp/data/books/contents/4-274-06257-0.htm
これは、インターネット標準とも言える通信プロトコルであるTCP/IPに関する技術解説本です。 TCP/IPに関する解説本は、巷には溢れており、書店では、非常に多くのTCP/IP解説書が売られています。 これからTCP/IPを勉強しようとしている人は、実際どれを選ぶべきなのか迷うと思います。 この本は、解説されるべきことがちゃんと解説されている、 極めてスタンダードな教科書です。 また、翻訳本ではなく、日本人によって書かれていますので、 コラムや、欄外の注記等も非常に分かりやすく書かれています。 目を皿のようにして隅から隅まで読んで欲しい本です。 何度も繰り返し読むことで、TCP/IPへの理解が深まると思います。 私はこの本を何十回も読み返し、 ラインマーカーや書き込みで一杯になるまで勉強しました。 これからTCP/IPを勉強する人の、最初の1冊としてお勧めします。
元の文よりよいかどうかは怪しいですが、 ためしに書き換えてみました。 参考まで。
『マスタリングTCP/IP(入門編)』 http://www.ohmsha.co.jp/data/books/contents/4-274-06257-0.htm
私はシステムエンジニアですから、 若手エンジニアを対象とした、 ネットワークの基礎技術に関する解説本を紹介します。
『マスタリングTCP/IP(入門編)』は、 インターネット標準ともいえる通信プロトコル「TCP/IP」の技術解説本です。 この本はスタンダードな教科書であり、 解説すべきことをもらさず解説しています。
この本は、翻訳書ではなく日本人による書き下ろしです。 そのため、コラムや欄外の注記などが、日本人にも分かりやすくなっています。
書店には、TCP/IPの解説本がたくさん売られていますが、 最初に読むには、この本が最適でしょう。
私は、この本を何十回も読みました。 ただ読むだけではなく、 書き込みで本が一杯になるまで学びました。 この本を、TCP/IPに関わるエンジニアにお薦めします。
時として人はとてつもなく卑俗な考えを頭にもたげて 愚行に走る、またハッとする程、他者が見ても清々しく美しい 行為を取る時があります。
大抵、僕らは現実世界において極端な聖にも俗にも 振り切れない、あるいは振り切らないまま程々な聖と 小さな俗の均衡を保って日々を過ごしているのではないでしょうか?
村上龍の「イン・ザ・ミソスープ」という本では読者はまるで タコメーターを振り切ったような聖俗の到達点を垣間 見ることが出来るでしょう。
大晦日間際の新宿を舞台にして外国人向けに夜の新宿 をガイドする20歳の青年ケンヂが一人のアメリカ人 フランクと出会い連続猟奇殺人が起こる3日間を過ごす 青年側の視点で描いた作品です。
「本当は欲しくも無いモノを買い漁る」
「生きることを放棄した」
そんな他の殺人の被害者である登場人物の生きる世界で フランクの語る「世界から切り離されてしまった感覚」と 「全てが調和したような感覚」のせめぎあいが引き起こす 凄惨でいて’いびつ’な顛末にただ引き込まれてしまうに 違いありません。
著書のこれ以前の作品に顕著に見られた主人公が エキセントリックな性癖でもって読み手である我々を 圧倒するような作品というよりはむしろ、本作の主人公=ケンヂは 市井の我々であり読み手側に立ち、あくまで「あちら側」を 案内する狂言回し役となっています。 世界がどんなに出鱈目であっても 正気で居続けるケンヂには大変、共感させられます。
女の子が楽しく世間話をしている。 それを見ながら、ずっとあの輪に入りたいなあと思っていた。
けれど共通の話題も見つからない。世の女の子は、お互い大して 仲が良くなくても世間話用の言葉をたくさん持っていて、それを 巧みに使いこなして盛り上げるのが上手い。
なんで上手く話す言葉が見つからないんだろう。自然にそこに入 りこめるような言葉。
でも、例え見つかったとしても、その場の雰囲気を壊してしまう ことを恐れ、結局飲みこんでしまう。
私がたまに口に出す言葉は、率直過ぎて相手を驚かせたり、怯ま せたりすることが多い。出来るだけ穏やかな言葉を使おうと、選 んでいるうちに、話しが終わってしまう。そうして、そこに馴染 めないまま、だんだんと輪から遠ざかっていくのだ。
友達は多いほうがいいなんて誰が言ったんだろう。たくさんの人 と万遍なくつきあうなんて私には出来ない。楽しそうに話してい る人を見るとうらやましくなる。たいして仲良しでもない人と世 間話を出来る人がうらやましくなる。たくさんの話題を持ってい る人がうらやましくなる。
輪から外れていると協調性が無いと思われたりしないだろうか、 変わった人と思われないだろうか。輪に入らないといけないので はないだろうか。なかなか他人と打解けられない自分はおかしい のではないかと、そんな心配ばかりして、ますます自分の壁の中 に閉じこもってしまうのだ。
が、この本を読んで、心がすうっと軽くなった。 夏石鈴子さんが書いた「きっと大丈夫」という本だ。
一つ一つの文章から、凛とした、しかし自然な、自分に正直な姿 勢が感じられる。この人は自分を信じて生きている。かといって ワガママなのではなく、他人を思いやる気持ちにも溢れている。
今まで他人からどう思われるか、それだけを気にしていた我が姿 勢が恥ずかしくなった。
いいの、いいの。今の自分でいいの。私には万人と打解けられる 才能はないんだから。他人を羨ましがるなんて馬鹿馬鹿しい。し ょうがないよ。私には備わってない才能なんだから。無理をして いい人ぶる事もないし、苦手な輪に入ろうとすることもない。
好きな人と好きな事だけしていればいい、一度しかない人生なん だから。大勢の中から出会えた、せっかく出会えた仲良したちと 楽しく過ごせればいいや。
こういう自分を好いてくれるひともいるんだから、私もなかなか 捨てたもんじゃないよね。
自分を肯定して生きていくって、ものすごく力が要ることだ。け れど「自分の一番のファンは自分でなければね、嫌いになってどう するんだ?自分を信じよう」
そう決めた。そうしたら、すこしだけ楽になったような気がした。
くじけそうになると、「私は私のままで、きっと大丈夫」と、呪文 のように静かに唱える。
『日本美術応援団』
安井曽太郎、雪舟、写楽、北斎から縄文土器まで、日本美術の粋?を 応援しようという本です。
「美術なんてよくわかんない」とか 「小学校では図工の成績は2だったからなあ」 なんていう人にピッタリの本です。
赤瀬川原平さんと、山下祐二さんの対談形式(南伸坊さんも出てきます)ですが、 図版もたくさんあり、美術の奥の奥まで案内していただけます。
奥まで進みすぎて、通り抜けてしまうこともありますが。
風と共に去りぬ(マーガレット・ミッチェル)
アメリカ南北戦争時代の、ひとりの女性の生きざまが生き生きと描かれた壮大な物語。
女性はしとやかに、一家の母として家を守ることが美徳とされた保守的な時代におい て、家族を守るためとはいえ、男性並みに事業を展開する進歩的な女性への偏見、南 北戦争による今日の食べ物にも困るような日々、最愛の家族との悲しい別れ。そして その戦争も終わり、やっと平和な日々が訪れるかに見えたのもつかの間、またまた彼 女の身の上には様々な事件が襲いかかる。幾度もの試練をも乗り越えていけどもいけ ども、新しい試練が待っている波乱万丈の人生。
しかし、自分を取り囲む環境がどんなにひどいといえるものであっても、いつでも自 分自身が生きるために、前に進もうとする女主人公スカーレット・オハラ。その不屈 の精神は、時代を超えて現代を生きる私達にも、大いなる勇気を与えてくれる。 自分の人生を生きるために、道なき道を無我夢中で突き進むスカーレット。そんな彼 女が一番手に入れたかったものとは……。
私の好きな本はピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの木陰から」です。
アメリカの広告業界で成功した作者は、一転バカンスで惚れこんでしまったプ ロヴァンスに移り住んでしまいます。しかしアメリカの大都会とフランスの田舎 町では言葉も違えば文化も違う。驚きや戸惑いの続く新生活の中で、個性豊かな 土地の人々と織り成すエピソードの数々をまとめたエッセイ集です。切れ味鋭い ユーモアは笑いなくして読むことはおそらく不可能でしょうし、四季折々の彩り を見せるフランス料理の描写には思わず空腹を思い出してしまいます。とにかく 読んで楽しい。その一言につきる本でしょう。
『月の本』 林完次‐著 角川書店
人は一生のうち何回月を見上げるのだろう。
これはどこかの国の詩人が残した言葉です。日月と共に満ち欠けを繰り返し、 海の満ち引きや生物の生態にも影響を及ぼすと言われている天体、月。 多分生まれてから一度も月を見上げた事のない人はいないのではないでしょうか。 太陽と違って直視する事が出来、見上げるたびに違った顔を見せてくれる月。 この本は、そんな月の事がたくさん書いてある本です。
月の本、と言うと天文学や宇宙科学の歴史についての本だと思われる方も少なく ないでしょう。確かに、この本にはそういう分野の事も書いてあります。 けれども、それだけしか書いてないわけではありません。むしろ、そんなちょっぴり 難しい事の記述は少ない位です。 大部分を占めるのは、月の美しい写真と絵画、それとお話です。 世界各国に伝わる月に関する神話、民間伝承。それから色々な小説や詩、短歌、 俳句等からの、月を語った文章の引用。 普段何気なく眺めてる、あるいは浮かんでいるのが当たり前すぎてほとんど気に 留める事もない月に、本当にたくさんの物語があることにきっと驚かれる事と思います。
せっかく綺麗な物が目の前にあるのですから、楽しまないなんてもったいないです。 まずはこの本で月の再発見をしてみてはいかがでしょうか?
死んだ人が蘇る世界。なのに巻き起こる連続殺人事件。死体から告発を受けるリスクを敢えて犯しながら何故犯人は人を殺し続けるのか。 本格ミステリ『生ける屍の死』(山口雅也:東京創元社)はそんなお話です。 このアクロバティックな設定の中、きちんと論理的に帰着する結末は素敵すぎ。 というか、ちょっとここからネタバレ気味ですが、クリスチャンの人がこの本読んでどう思うのか知りたいです。
森鴎外「渋江抽斎」
「渋江抽斎」は名作の誉れ高い作品だが、これを読み通した人は少ないと思う。 渋江抽斎という江戸時代の無名の学者とその周辺の人々の来歴が淡々と書かれているばかりで、 しかも長く、たいていの人は退屈のあまり途中で投げ出してしまうと思う。私も、はじめて読ん だ時は、最後まで読み通せなかった。 しかし、私は、この「渋江抽斎」が鴎外の小説のなかではいちばん好きだ。もしかしたら、 日本の小説のなかでいちばん好きかもしれない。 抑えた調子の文章を読んでいると、鴎外が渋江抽斎という人物を深く愛していることが伝わって くる。私は、その愛情に強くひかれるのである。 鴎外であれば、渋江抽斎の生涯をおもしろく脚色して書くことも、また、細部を省略し簡潔な小 説にすることもできたと思う。そうすれば、この小説ももう少し多くの読者を獲得しただろう。 しかし、鴎外は渋江抽斎を愛しているのである。愛していればこそ、その生涯を勝手に脚色したり、 細部を省略することを好まなかったのだろう。
「ちいさいおうち」という絵本が好きです。バージニア・リー・バートンという人の絵本です。 のどかな田舎が、だんだんと開発されて都会になっていく様子を、ちいさいおうちが見守っているお話です。 少しずつ変化するほのぼのとした絵がすてきで、子供の頃に何度も何度も読み返しました。 いまでも大好きな本です。
「うるさい日本の私」 中島義道 著 の紹介文
今の日本にはびこる様々な「音」の実態について報告している。 それがこの本である。 著者は日本の様々な場所における無用な、 そしておせっかいなアナウンスが音環境を悪化させていると断言する。 例えばエスカレータで「手すりにつかまりましょう」、 バス内での「急ブレーキにご注意ください」、 海水浴場での「置き引きに注意しましょう。食中毒に注意しましょう」などのアナウンスである。 哲学者でもある著者は、ひどい音環境が創られる理由について理論的に語る。 そして要因を探るだけでなく、改善すべく企業や役所に直接働きかける。 最終的には、なぜこのような環境になってしまうのかを日本人の美意識、行動規範の根幹にまで掘り下げて考察している。 一読して、なるほどとうなずく部分もあり、あらためて周りを見渡して再考してしまう一冊である。。
『うるさい日本の私』中島義道
この本は、現代日本における「音環境」のひどい実態を報告している。 日本の音環境を悪化させているのは、 あちこちで流されるアナウンスであるという。 たとえば、 エスカレータでは「手すりにつかまりましょう」、 バスに乗れば「急ブレーキにご注意ください」、 海水浴場で「置き引きに注意しましょう。食中毒に注意しましょう」 …そのような、役に立たずおせっかいなだけのアナウンスのことだ。
著者は、ひどい音環境が作られる理由を理論的に探る。 理論的に探るだけではなく、企業や役所に対して音環境の改善を働きかける。 そして最後に、 哲学者でもある著者は、 このような音環境になってしまう理由を、 日本人の美意識、行動規範の根幹にまで掘り下げて考察する。
一読して、なるほどとうなずき、 自分のまわりの音環境をあらためて確かめたくなる一冊である。
私の好きな本の紹介
好きな本はたくさんありますが、最近読んだものでは、 江國香織さん著の「ぼくの小鳥ちゃん」。 私は文章読解力が優れている方ではないので、 感覚的に「匂う」文章が好きなのです。 「匂う」文章とは、あれこれ考えめぐらさなくても 想像しやすい文章のことです。 この「小鳥ちゃん」の出だしは、小説にありがちな 描写から始まりますが、 情景を思い浮かべるのが苦手な私でも 不思議なくらい雰囲気や匂いが伝わってきて、 読むのが苦痛でないのです。
でも、この本が読みやすかった理由は他にもあります。 同年代の作家であること。キレイな挿し絵があること。 字が大きいこと。行間が広いこと。短編だったこと。 飽きっぽい私にはちょうどよいのかもしれません。
結城です。楽しかったけれど、疲れました。
とんでもないことをはじめてしまったのかもしれません。 人の文章を読むって、何てたいへんなんでしょう。 「人の書いた文章を読みやすくするのはもっとたいへんだ」とみなさんに言われてしまうでしょうか。
まあ、でも、せっかくはじめたのですから、 行けるところまで行ってみましょう。 どうぞお付き合いください。
今回読んでいて気になった点は以下です。
ちょっとした発見。 1つ1つの文が読みやすいと、 細かなミスがあっても気にならないけれど、 文がぎくしゃくしていて読みにくいと、 細かなミスまで妙に気になってくるものですね。
ええと、事務的な連絡が2点あります。
投稿者のみなさんは、他の人の書いた文章を読んでみて、 また自分の書いた文章を読み返してみて、どんなことを感じましたか。 今回投稿しなかったみなさんはいかがでしたか。 ぜひ、あなたの感想を 「文章教室」へのフィードバックからお送りください。
それでは、また。 Enjoy Writing!
結城: ええ、わざとです。 あちこちずらすのはなかなか大変でした(^_^)
結城: どうも♪ 練習問題の文例はながながとつないだ読みにくい文ですから、 うまく切り取らなければなりませんね。
結城: 他の人の文章を読むのは勉強になりますよね。 私もとても勉強になっています。
結城: あれはいい本です。 結城さんちの本屋さんにも入荷しています。 ええと…(ごそごそ)…ありました。 『小説作法』スティーヴン・キングですね。
結城: 自分の発見、ですね。
結城: 応援どうもです。 「成功」するかどうかは、ひとえに投稿者のみなさんにかかっています。
結城: そんなたいそうな。(^_^)
結城: 呼びかけるとき、読む「誰か」のことを少しでも考えることになるので、 いいんじゃないでしょうか。
結城: 私も読んでいて楽しかったですね。 これだけバリエーションがあるとは思いませんでした。
結城: Web日記も楽しいですよね。 次の投稿ではURLを教えてくださいな。 リンクしますよ。
結城: 「練習」の問題文、焦点がぼけていますものねえ。
結城: あとで読み返すときには「どこぞの誰かが書いた文章だな。添削してやるか」という気分でやるといいです。 応援してますね。
結城: ご愛読ありがとうございます。 わかりやすいメールを書くのはなかなか難しいものです。 ところで…探偵さん…なんですか。すごいですね。
結城: 応援、ありがとうございます。
結城: 私は「文章は短く」とは書きませんでしたよ。 私は「文を短く」と書いたのでした。 私がよい文章を書くコツを聞かれたら、 今なら「読者のことを考えよ。書いた文章は読み返せ」と答えますね。
結城: 問題編を書いていて、 まずい文章を作り出すのってすごく大変だということを知りました。
結城: はっきりいって、この 文章教室は初回も最終回も、問題の難しさは変わりません。 ほとんどいつも、読みやすく分かりやすい文章を書け、ですから。 頭で想像するのと、書くのとは全然違いますよね。 それがわかるというのは素晴らしいことです。 大半の人は、問題を読んでも実際には書かないんです。 そして、実際に書かなければ文章は絶対にうまくなりません。
結城: 文章を書くのが嫌いではない、というのはいいですね。
結城: この 文章教室では、毎回テーマをかかげます。 けれどそれは便宜上かかげているに過ぎません。 読者は著者の思惑とは別に、書かれている文章全体を受け取ります。 読みやすければ読むし、読みにくければ放り出すのが読者です。 文章教室のかかげているテーマや提示している問題文に あまりとらわれすぎないでください。 お好みならすべての文節、すべての助詞を変更してかまいません。 学校の試験じゃないんです。 もっと自由に好きなように書いてみましょう。 要するに、問題編に書かれているものを 題材・きっかけにして「読者が読みやすくて分かりやすい文章を書く」のが 目的なんです。よろしく!
結城: 素晴らしい。 どんどん書きましょう。 そして何度も読み返しましょう。 あなたの「何か」が始まるきっかけになるといいですね。
あなたのご意見・感想をお送りください。 あなたの一言が大きなはげみとなりますので、どんなことでもどうぞ。