> 結城浩の日記 > 2002年4月 | 検索 |
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今日は仕事の合間に、橋本礼奈さんの個展に行ってきました。 残念ながら、お仕事の関係で健吾さんにはお会いできませんでした。
礼奈さんとはネットでは長いお付き合いですけれど、 直接お会いするのはこれがはじめてになります。
礼奈さんは、ゆっくりと言葉を選んで、ていねいに話す、素敵な女性でした。 画廊でお茶やお菓子をいただきながら、 ネットのことや絵のことのお話などをたくさんうかがうことができました。 絵の説明(というか絵にまつわるお話)を描いた作者本人から聞く、 というのはとても贅沢な体験でした。感謝します。
Web上や、印刷された本で絵を見るのと、 直接「本物の」絵を見るのとではずいぶん違うものだなあと思いました。 直接見るほうがはるかにいいですね。
私はもっぱら「絵を描くということ」についての質問を礼奈さんにしていました。 絵の中に葉っぱが登場してくるときに、 一枚一枚数えて描くとか、壁のしみも形をきちんと合わせて描く、 という話には驚きました。でも同時に納得もしました。 適当に頭で作った部分があると、そこがどうしてもうそっぽくなる、 というのは文章でもよくあることだからです。
それから絵に対する「思い入れ」の話もおもしろかった。 思い入れがないといったらうそになるけれど、 きまった場所にある色を置いたら、それを見る人に対してある印象を与えるもの。 つまり、本人の思い入れや能書きではなく、 作品として提示されたものがすべてかも、といった話。 絵の端の方の線をわずかにゆがませるという話や、 得意な色と不得意な色があって、 つい得意な色(コントロールしやすい色)を使ってしまうという話も。
絵を見ながらReinaさんとおしゃべりをしていると、
シンジさんと、中村さんがいらして、オフ会然としてきました(^_^;
。
おしゃべりするのも楽しかったですけれど、
美術関係者同士の会話をじっと聞いているのも楽しかったですね。
おいとまするときに、 礼奈さんがさし絵を描かれた『六号病室のなかまたち』にサインをしていただきました。
橋本礼奈展は銀座の「あかね画廊」にて、2002年の5月5日まで。 日比谷線銀座駅B4出口からすぐ。入場無料です。
緊張していて、
芳名帳で自分の名前を間違えて書いてしまいました *^_^*
。
Reinaさん、ごめんなさい。にせものじゃないです。
私、そういう間違いよくするんです。
以前こんな失敗がありました。
自分のサイン本に聖書の言葉を書いたのですけれど、
わざわざ聖書の個所を間違って書いてしまったのでした。
あー、恥ずかしい (^_^;;;
。
クイズ
以下のソース(Main.java)をjavac Main.javaとコンパイルして、 java Mainを実行すると何が表示されるか、というクイズ。
class A { public static void method1() { System.out.println("method1 of A"); } public void method2() { System.out.println("method2 of A"); } } class B extends A { public static void method1() { System.out.println("method1 of B"); } public void method2() { System.out.println("method2 of B"); } } public class Main { public static void main(String[] args) { A[] arr = { new A(), new B(), }; for (int i = 0; i < arr.length; i++) { arr[i].method1(); arr[i].method2(); } } }
礼拝の後、お昼寝。ぐー。
夕方になってから、近くの喫茶店で原稿をゆるゆる書いたり、校正をしたり。 次回はYukiWiki2の新機能の紹介の予定。 といってもYukiWiki2はまだ完成しているわけではないので、 各機能をどのように実装するか、という話を中心にするつもり。
校正は淡々と進む。 とりあえず、赤いボールペンを手に、一章の終わりまで読む。 毎回、薄い本を書こうと思っているのに、厚くなってしまうのはなぜだろうと疑問に思いつつ。 初校はまだまだざらざら。だんだん磨かれていくはずだ。
子供を寝かしつけるときに絵本を読んでいる。 絵本の中には、日本語訳がひどいために音読がしにくいものが存在する(あえて名前はあげない)。
子供に音読してやる聖書としては、 至光社の『絵でみるこどもとおとなのはじめての聖書』新約編・旧約編(レティツィア・ガリ 絵、フランソワ・ブロシエ、ダニエル・モヌロン 文、佐久間 彪 訳、1990年刊) が非常に優れている。 こなれた日本語で、何度音読しても飽きない。 でも、いま至光社のWebページを見てみると、この本が見つからない…うーむ。 CLCか教文館で買ったように記憶している。
ありがたいことに、たくさんの(ほんたうにたくさんの)方から、 正かなについての指摘をいただいた。 以下、修正版。 修正部分を強調してみる。 添削してくださつた野嵜さん、ありがたうございます。
例へば、打ち合はせに向かふ電車の中で。
プログラムのことを考へてゐると、 だしぬけに「自分を賢いものと思はないやうに」といふ言葉が心の中にやつてくる。 続いて「相手を自分よりも賢いと考へなさい」といふ言葉もやつてくる。
私は、このメッセージは誰からだらうか、と考へる。 そして、メッセージが聖書の内容に合致してゐることから、 神さまからのメッセージかもしれない、と考へる。
神さまに心を開くと、自分の中の高ぶりが指摘される。 そこで、さつと神さまにお祈りし、さつと心をお掃除していただく。 そして身を低める態度といふことについてしばし思ひをめぐらす。
それから、安心して、プログラムのことを再び考へはじめる。
そんな、ちよつとしたひととき。
以下、新かな。
正かなをきちんと使おうとすると、語の成り立ちについて考える機会が多くなるように思います (もちろん、自分が新かなを普段使っているからかもしれませんが)。 丸谷才一の文章の中に「扇で扇ぐ」という例が出てきます。 「オウギでアオグ」という表記と「アフギでアフグ」という表記を比べる例です。 それから「人妻」を「ヒトヅマ」と書くのに、「稲妻」を「イナズマ」と書くのはおかしいという例も。 こういう例を読むと、いろいろと考えさせられますね。
なお、正かなの話題をこれ以上続けると、 編集の人が不安になる可能性があるので、 仕事に戻るのであった。
何しろ、[DP/2]の初校が出ているのである。読まねば。ねばねば。
いろんな人の、いろんなしっぽ。
私のしっぽは、疲れて眠くなっテイル、です。
[DP/2] 初校がもうすぐでる模様。わくわく。
朝、丸谷才一の本を読んでいたら、 何だか闇黒日記を読んでいるような錯覚に襲われた。笑ひ。
昨日の日記を正かなづかひ(歴史的仮名遣)で書く練習。
例へば、打ち合はせに向かふ電車の中で。
プログラムのことを考へてゐると、 だしぬけに「自分を賢ひものと思はないやうに」といふ言葉が心の中にやつてくる。 続ひて「相手を自分よりも賢ひと考へなさひ」といふ言葉もやつてくる。
私は、このメッセージは誰からだらうか、と考へる。 そして、メッセージが聖書の内容に合致してゐることから、 神さまからのメッセージかもしれない、と考へる。
神さまに心を開くと、自分の中の高ぶりが指摘される。 そこで、さつと神さまにお祈りし、さつと心をお掃除していただく。 そして身を低める態度といふことにつひてしばし思ひをめぐらす。
それから、安心して、プログラムのことを再び考へはぢめる。
そんな、ちよつとしたひととき。
例えば、打ち合わせに向かう電車の中で。
プログラムのことを考えていると、 だしぬけに「自分を賢いものと思わないように」という言葉が心の中にやってくる。 続いて「相手を自分よりも賢いと考えなさい」という言葉もやってくる。
私は、このメッセージは誰からだろうか、と考える。 そして、メッセージが聖書の内容に合致していることから、 神さまからのメッセージかもしれない、と考える。
神さまに心を開くと、自分の中の高ぶりが指摘される。 そこで、さっと神さまにお祈りし、さっと心をお掃除していただく。 そして身を低める態度ということについてしばし思いをめぐらす。
それから、安心して、プログラムのことを再び考えはじめる。
そんな、ちょっとしたひととき。
「しっぽ」のことを英語でtail(テイル)といいます。
くたびれテイル、歌っテイル、感謝しテイル、泣いテイル、 怒っテイル、笑っテイル…
いろんなしっぽがありますね。
今日のあなたは、どんなしっぽ?
とても、とても、くたびれている。 そんなときでも主に感謝。
一日メールチェックしなかったら、200通くらいたまってしまった。 ウイルスメールも多いが。がしがし削除。
いろんな方からメールが来る。
死刑場に連れられて行く馬車の中でいらくさのチョッキを編んでるような気持ちの画家とか。 新しいお仕事を依頼してくださる編集の方とか。 コミュニティのあるべき姿を模索している研究者とか。 Perlを学んでいて、今度はJavaに挑戦しようとしている会社員とか。
それぞれの人に返事を書いたりお祈りしたりする。
興味深いのは「実は僕も/私もクリスチャンなんです」という方がとても多いということ。 実はクリスチャン人口って多いんじゃないのか?と錯覚を起こすほど。
[PQ/Book] 淡々と仕事。
次男を医者に。
[PQ/Book] みなさんから送られてくるPerlの「はみだし情報」を読む。 楽しいネタが多くてにこにこしながら仕事。 すごくおもしろい話ばかりなのですが、 もっと普通の話や体験談でもいいですよ〜。 まだまだ足りないので、何度でもお送りくださ〜い。 お願いしま〜す。一人何個でもいいで〜す。 他の言語とからめたネタや、具体的なコードでの失敗/成功談や、 スクリプトでの苦労話、他の人とのコミュニケーションなど、Perlに関することなら何でもどうぞ。
先ほど、変なウイルスメールが来た。 Norton Internet Security 2002を入れているから、 ウイルスが入っているとすぐにわかる。
AからBへ、ウイルスメールが流れている。 そのメールのReturn-Path:に私のメールアドレスが書かれている。 Bのメールアドレスのユーザ名の部分が誤っていたために、 私のところにウイルスメールが(Bのドメインからのエラー通知メールとして)やってきた。 うーむ…。
そのウイルスメールにはtips.txtというテキストファイルが添付されている。 それはWindows 98に付属している文書。そして「次に.bat」というバッチファイルがある。 これが悪さをするようである。
DTDをXML Schemaに変換するツールdtd2xsdを試す。
たとえば、私が試しに作ったAlexanderのPattern記述用のDTD(alex.dtd)がここにある。
<!-- $Id: 2002.txt,v 1.2 2005/03/18 14:51:28 user Exp $ --> <!-- DTD for Pattern Writing, based on Alexander's pattern description --> <!-- Title of Pattern Language --> <!ELEMENT alex (pattern+) > <!ATTLIST alex title CDATA #REQUIRED> <!-- Name of the pattern --> <!ELEMENT pattern (picture?, context, problem, body, solution, diagram?, related_patterns) > <!ATTLIST pattern name CDATA #REQUIRED> <!ATTLIST pattern id ID #REQUIRED> <!-- for reference --> <!ATTLIST pattern significance (two|one|no) #IMPLIED> <!-- number of asterisks --> <!ELEMENT picture EMPTY> <!ATTLIST picture href CDATA #REQUIRED> <!-- URL of the picture --> <!-- Introductory paragraph --> <!ELEMENT context (#PCDATA|pref)*> <!-- The headline, the essence of the problem --> <!ELEMENT problem (#PCDATA)> <!-- The body of the problem --> <!ELEMENT body (p+)> <!ELEMENT p (#PCDATA|pref)*> <!-- The heart of the pattern --> <!ELEMENT solution (#PCDATA)> <!-- URL of the diagram --> <!ELEMENT diagram EMPTY> <!ATTLIST diagram href CDATA #REQUIRED> <!ELEMENT related_patterns (p+)> <!-- ID of the related pattern --> <!ELEMENT pref (#PCDATA)> <!ATTLIST pref ref IDREF #REQUIRED>
これを以下のコマンドでalex.xmlに変換する。
java -cp xml.jar;xt.jar;. dtd2xsd alex.dtd > alex.xml
結果、こうなる。
<?xml version="1.0"?> <xs:schema xmlns:xs="http://www.w3.org/2001/XMLSchema"> <xs:element name="alex"> <xs:complexType> <xs:sequence> <xs:element maxOccurs="unbounded" ref="pattern" /> </xs:sequence> <xs:attribute name="title" type="xs:string" use="required" /> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="pattern"> <xs:complexType> <xs:sequence> <xs:element minOccurs="0" ref="picture" /> <xs:element ref="context" /> <xs:element ref="problem" /> <xs:element ref="body" /> <xs:element ref="solution" /> <xs:element minOccurs="0" ref="diagram" /> <xs:element ref="related_patterns" /> </xs:sequence> <xs:attribute name="name" type="xs:string" use="required" /> <xs:attribute name="id" type="xs:ID" use="required" /> <xs:attribute name="significance"> <xs:simpleType> <xs:restriction base="xs:string"> <xs:enumeration value="two" /> <xs:enumeration value="one" /> <xs:enumeration value="no" /> </xs:restriction> </xs:simpleType> </xs:attribute> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="picture"> <xs:complexType> <xs:attribute name="href" type="xs:string" use="required" /> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="context"> <xs:complexType mixed="true"> <xs:choice minOccurs="0" maxOccurs="unbounded"> <xs:element ref="pref" /> </xs:choice> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="problem" type="xs:string" /> <xs:element name="body"> <xs:complexType> <xs:sequence> <xs:element maxOccurs="unbounded" ref="p" /> </xs:sequence> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="p"> <xs:complexType mixed="true"> <xs:choice minOccurs="0" maxOccurs="unbounded"> <xs:element ref="pref" /> </xs:choice> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="solution" type="xs:string" /> <xs:element name="diagram"> <xs:complexType> <xs:attribute name="href" type="xs:string" use="required" /> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="related_patterns"> <xs:complexType> <xs:sequence> <xs:element maxOccurs="unbounded" ref="p" /> </xs:sequence> </xs:complexType> </xs:element> <xs:element name="pref"> <xs:complexType> <xs:simpleContent> <xs:extension base="xs:string"> <xs:attribute name="ref" type="xs:IDREF" use="required" /> </xs:extension> </xs:simpleContent> </xs:complexType> </xs:element> </xs:schema>
Thread-Specific Storageパターンって、こういうものです。
このパターンは、『Java言語で学ぶデザインパターン入門』マルチスレッド編でも詳しく紹介します。
今日は雨。 次男の調子をはじめ、家族全員の調子がよくなくて、 礼拝もお休みしてしまいました。
今日は、とある会社の忘年会、じゃないな、ある飲み会に参加。 私はあまり飲み会には参加しないのだけれど、 今日は、ある人のために参加。 その人は、仕事をしているのだけれど、 とても創意工夫をしていて、自分の頭でよく考えている。 あるべき姿を意識して、いろんな仕事をしている。 私はそれをとても高く評価していて、機会があるごとにそのことを関係者に伝えている。 今日はその人に直接会う機会となったので、飲み会に参加することにした。 そして、その人がこれまでやってきたこと、そしてその意味についてゆっくり語り、 あなたはもっと大きな仕事、意味のある仕事をできると思います、 という私の意見を伝えた。
『フェルマーの最終定理』の翻訳者、青木薫さんから、 とてもていねいなお返事をいただいた。
なんと、以前、結城のリコーダーのページに来ていただいたことがあるとのこと。
わーい、うれしい。*^_^*
←ミーハー。
あっ、そうだ。ミーハーの記録に書いておこう。
やっぱり、何でも公開しておくもんだなあ…。いろんなきっかけになるもんだなあ…。
今日も今日とて多忙なり。
忙中でも本を読もう。 サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』を読む。 証明が失敗しそうになったあと、逆転勝利するところなど、泣けてきます。 自分の仕事を秘密にしたまま、 たった一人で定理の証明に立ち向かうというのは、 恐ろしく強い精神力のように思います。
それはそれとして、このサイモン・シンという著者の筆力はすごい。 さらに翻訳(青木薫さん)も素晴らしい。 とても勉強になります。
この本は、 森山さんの「独断と偏見で選ぶベストサイエンスブック2000」の第一位になっています。
*^_^*
文章教室を更新しました。
今年の1月1日からはじめた文章教室も、はや8回目になりました。
第8回のテーマは「まずはどんどん書きましょう」です。 これは、文章を書くことに対して苦手意識を持っている人向けに書いたものです。 ぜひご参加ください。
2000年11月、年間3600円で世界征服が完遂された模様。 というか、何というか…(^_^;
日記ダイジェストの2001年12月分を更新。
いま、気づいたんだけれど、自分に対する否定的な言葉を聞いたとき、 私って、そこから事実だけを抜き出して、自分の反省点とする、 という性格を持っているみたいだ。 いや、性格というのじゃなくて、最近そういう習慣になっている、 という方が正しいかもしれない。 どういうことかというと、自分のやる気をそぐもの、 自分の状態を引き下げてしまうようなものに出会ったときも、 あまりめげなくなってきたなあ、ということ。 感謝、感謝。 年を経て鈍くなってきたというだけかもしれませんけれど。
反省はしても、後悔はしない。
なんて書くとかっこいいけれど、でもそういう風に生きたい、と私は願っている。 私、後悔ってすごく嫌いなんです(私が「嫌い」という言葉を使うのはめずらしい。たいていは「好きじゃない」と書く)。 あのときああしておけばよかった、こうしておけばよかった、 やっぱりあっちのほうがよかった、…そういうのが嫌いなんです。 反省は前向きですよね。あれは失敗だった、こんどはこうしよう、というもの。 でも後悔は違う。過去のことをあれこれ悔やんで、現在の気持ちや気力をなえさせてしまう。 私は、後悔が嫌い。果てしなく時間の無駄遣いのような気がして。 もちろん、失敗した直後は後悔もする。時間の「巻き戻し」をしたくなる。 でも、ほんのちょっとの時間であっても「巻き戻し」はできない。 それは厳然たる事実。
時間は自分のもっとも大切な資産。神さまから与えられている大きな恵み。 その貴重な時間を、後悔に使うのはもったいない、と思う。 「だって、もったいないと思っても、後悔しちゃうんだもの、しょうがないじゃない」 と感じている人もいるかもしれない。 うん、確かにそう。自分の理性でどうにもならないときもある。 でも、習慣の力は大きい。練習の力は大きい。
練習してみよう。
自分が「後悔している」と思ったとき、自分が無為なことに心を砕いていると思ったとき、 気持ちをカチリと切り換える。 自分の頭と心から、あれやこれやと悔やむ気持ちをいったん追い出す。はいはい、出てってくださいね。
そして、心を神さまに向ける。 恵み深い神さま! そして感謝する。 私に命を与えてくださってありがとうございます。 もっと感謝する。 神様、あなたはすばらしい方、私を愛してくださってありがとうございます。 現在の状態をも感謝する。 神様、いま・この現在の状態もイエスさまのゆえに感謝します。 神さまへの信仰を告白する。神様、あなたを信じます。 神さまを信じるということは、自分が用意した解決ではなく、神さまが用意してくださる解決を信じるということでもある。 神さま、私の中にはさまざまな思いがあり、あなたはそれをご存知です。 しかし、神さま。私の思いではなく、あなたの御心がなされることを願います。 他人をさばいたり、状況をのろう前に、自分自身を変えてもらうことを願う。 あなたの思いのままに、わたしを変えてください。
注意するけれど、自分自身を変えてもらうというのは、自分だけが苦労を背負い込めという意味ではない。 しょせんこの世は過ぎ行くもの。 この世のどんなことも、かりそめのものに過ぎない。 この世は練習室、トレーニングルームなのだ。
神さまは、私たちの働きの成果物を求めているわけではなく(伝道などでそういう場合もありますが)、 働きを通して成長する、わたしたち自身を求めているのではないか。 そう、そうだ。 わたしたちはイエスさまの花嫁となるために花嫁修業をしているのだ。 クリスチャンはもう結婚式がすんでいることになるのかな。 でも、まだこの世に住んでいるから、 イエスさまからヴェールをとっていただくまでは、花嫁修業は続く…。
だから、この世で(いわゆる)失敗をしたとしても、それは実は大きな問題ではない。 でも、失敗のゆえに意気消沈して、間違った道に進んでしまったり、 心を悩みでいっぱいにして神さまを見失ったり、 神さまからの愛を受けていることを忘れたり、自分の中に愛を育てることを忘れたり、 …そういうことは大きな問題になる。
逆に、この世で(いわゆる)成功をしたとしても、それ自体は実はどうでもいいことだ。 でも、その成功のゆえに間違った道に進んでしまったり、 心が高ぶって神さまを見失ったり、 神さまからの愛を受けていることを忘れたり、人への愛を育てることを忘れたり、 …そういうことは大きな問題となる。
さあ、今日一日も、神さまに感謝しつつ歩んでいきましょうね!
わたしは衣のすそをあなたの上に広げ、 あなたの裸をおおい、わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ。 ——神である主の御告げ。——そして、あなたはわたしのものとなった。
(エゼキエル書16:8から)
詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
(エペソ 5:19, 5:20)
ええと、いま結城は書籍版『Perlクイズ』を編集中です。 メールマガジン『Perlクイズ』に負けないような、 楽しくてためになる本にするつもりですので、 どうぞお楽しみに。
ところで、その書籍版『Perlクイズ』の中に、 はみだし情報 のコーナーを設けようと思っています。 ほら、雑誌の欄外に1行か2行くらいのスペースがあって、 読者からの一言、やギャグ、失敗談などが書いてありますよね。 あれのPerl版を作りたいな、と思っているんです。
よろしかったら、ご協力いただけませんか?
最近、プライベートな出来事や、ヤベツの祈りを通して「自分の地境を広げる」ということがどういうことなのか、考える機会が多い。
いままで自分が「苦手でもいい」「わからなくてもいい」と思っていた分野に対して、 自分が目を向けなければならない事態が起こっている。 確かにそれを自分に対する「困難」とみなすこともできよう。 あるいは人生における「苦労」とみなすこともできよう。 しかし、それもすべて、自分自身の見方に過ぎない、と思わされている。
自分が困難だと思えば、どんなことも困難になり、腰が引けてくる。
自分が苦労だと思えば、どんなことも苦労になり、ため息が出る。
しかし、カチリと気持ちを切り換えて、これもまた主の栄光が表されるためだ、と考えてみよう。 あるいはまた、神さまが神さまのなさり方で、私を教育しようとされているのだ、と考えてみよう。 人間にはできない方法で、神さまは私を育てようとなさっている、それほど神さまは私を愛していてくださるのだ、と考えてみよう。 そうすると、自分の視点が変わる。そうして自分のまわりの様子が変わる。そして世界が変わる。 もっともっと、私は自分の心を神さまに開いてよいのだ、とわかる。 心を主に開くべきだ、とわかる。
自分の罪を神さまに告白すること、それは大切。 人の罪をゆるすことも、それももちろん大切。 しかしそれを繰り返すだけではなく、 神さまが自分に与えようとなさっている祝福と恵みの人生の意味を、 もっともっと理解すべきなのかもしれない、と思う。
心を開いて、耳をすまして、神さまのなさるなさり方にしたがって(自分の小さな思い込みや、決め事に従うのではなく)、 自分の意識の地境を広げていただくのがよいのではないか。
年齢が加わるにつれ、自分がやってきた仕事に慣れるにつれ、 いままで自分がやってきたことの技術は高まっていくだろう。 しかし、そこにとどまるのではなく、 もっと新しいことに挑戦していくことも大切なのではないか。 神さまが示してくださる道を、勇気をもって踏み出すことも必要なのではないか、と思う。 いうまでもなく自分勝手に無謀に新しいことをはじめるというのではない。 無謀と勇気は異なる。 よく祈りつつ、鳩のように素直に、蛇のように賢く、神さまのいうことを聞いてそのとおりに進む姿勢が必要なのではないか、 と考えている。 挑戦というと大げさかもしれない。 「新しい種をまく」という方が近いかもしれない。
「自分の地境を広げる」ということが、私自身にとってどういう意味を持つのか、 まだ全貌がわかっているわけではない。 けれども、だいぶわかってきたところもある。 私はもっと、いろんなことについて祈り、考え、備えるべきなのだ。 きっとすぐに形にはならない。 でも、新しい一歩を踏み出しつつある自分を感じる。 『赤毛のアン』の「道の曲がり角」と似ているところもある。 新しい何かが、私の中で生まれ、育とうとしている。 神さまが、私の意識の地境を広げようとしてくださるのを感じる。
はからずも、春。
新しい季節のはじまりだ。
結城のこの日記を読んでいる方の中にも、 新しい学校、新しい会社、新しい仕事、新しい生活…に向かっている方がたくさんいらっしゃると思います。 その中には、もしかしたら一見困難に思える状況におちいっている方もいるかもしれません。 その方の上に、神さまの導きがいつもありますように。 「困難」のように思えても、それは、自分の意識や視点を変えるチャンスかもしれません。 あるいはまた、大きくはばたくきっかけになるかもしれません。 共に主に感謝しましょう。
主の御名を賛美し、イエスさまに大きく期待!
礼拝後、家内たちと分かれ、私と長男の二人で電車に乗って帰宅。 その道のり、私は長男(7歳)に「私はあなたについていくから、あなたが一人でどう進むかを考えるんだよ」という指示を出す。 長男は私に聞きながら、自分で自動券売機を探し、いまいる駅・降りる駅を調べ、料金を調べる。 駅構内に入ったら今度は私が「どっちのホームだと思う?」と長男に問いを出す。 長男が困っているので、私は路線図の見方を少し教える。 反対側のホームだと気づいた長男は今度は自分で向こうのホームに渡る道を見つけ出す。 渡ってから、私は長男に構内のアナウンスに耳を傾けるようにアドバイスする。 そしてやっと乗車。途中で急行に乗り換えるかどうかの判断も長男にまかせる。 降りる駅名を確認させ、降りて、今度は改札口を確認させ…。 そんなこんなで、途中にマックに寄って、本屋さんに寄って、家に帰る…。 そのすべてを、長男が主になって判断し、 私は後ろからアドバイスをする、というスタンスで進んでみた。 帰ってからも長男はとても嬉しそう。 夜になってきた家内に、 長男は「帰り道、一人で帰ってきたんだよ。とてもおもしろかった!」と熱心に話す。
午前中は、いろんな意味でヘビーなイベント。みなさんの祈りに支えられて、今日の分は終了かな。
午後はパソコンショップまで子供を連れて散歩。それから喫茶店でお茶。お昼寝。
夕方、少しお仕事。
結城さんちの本屋さんはアマゾンアフィリエイトに参加しています。 1月〜3月の紹介料がギフト券でやってきたので、 同額をユニセフに募金しました。 インターネットで募金できるのは便利ですね。 みなさんのご協力を感謝します。
長男との会話。
私「球があります。球の表面積が四倍になりました。そのとき球の体積は何倍になりますか。」
長男「ええっ、わかんない。」
私「じゃあヒントね。球の表面積が四倍になったとき、球の半径は何倍になりましたか。」
長男「うーんと…二倍かな。」
私「ピンポン。では球の半径が二倍になったとき、球の体積は何倍になりますか。」
長男「八倍?」
私「ピンポン。じゃあ、別の問題ね。「二次元の球」って何?」
長男「円!」
私「ピンポン。じゃあ、次は難しいよ。「一次元の球」って何?」
長男「わからない。」
私「三次元の球を二次元の平面で切ると、断面は何?」
長男「円。」
私「ピンポン。そうだね。じゃあ二次元の球…つまり円を一次元の直線で切ると、断面は?」
長男「2つの点。」
私「そうだね。だから、一次元の球っていうのは二点のことだ。正確には1次元の球面だけどね。じゃあ、次の問題は、一次元の球の「中心」ってどこ?」
長男「2つの点の…中点?」
私「はい、そのとおり。そのとおりだね。また別の問題。もしも「四次元の球」というのがあったとしよう。半径が二倍になったら、四次元の球の体積は何倍?」
長男「16倍!」
私「そう、たぶんね。どうして16倍だと思ったの?」
長男「四次元というのは、四回自乗するってことだから2×2×2×2で、16倍だと思った。」
私「うん、そうだね。四回自乗するとはあまりいわなくて、四乗する、っていうんだよ。じゃあ、半径が二倍になったら、「一次元の球」の「体積」って何倍だと思う?」
長男「…二倍?」
私「うんうん。そうだね。ところで、「一次元の球」の「体積」って何のこと?」
長男「2つの点の間の…長さ!」
私「そのとおり。じゃあ、寝よっか。」
長男「(うなづく)」
[DP/2]校正は続く。編集部へ07をメールして、一段落。感謝!
編集者からの改善案・疑問点の指摘は全部で1253個でした。 編集者ってすごいなあ。
口に出した言葉を一番はじめに聞くのは自分の耳だ。
他人任せにせず、自分で考えるのは大切。自分任せにせず、神さまに祈るのはもっと大切。
神さま、と祈り始めると視界が急に開ける。
[DP/2]校正は続く。残り3セット。編集部へ06をメール。
詳細:残りは07(3)の1パッケージ。ふみぃ。
[DP/2]淡々と校正。残り7セット。編集部へ05をメール。
詳細:06(4), 07(3)の2パッケージ。
文章教室への投稿、よろしくどうぞ。
以下、ChangeLog形式のメモを日常生活で使う話。強く同意。
朝、メールチェックをしていると、 家内がピアノを弾きながら聖歌を歌っているのが聞こえてきた。 とても美しい音楽で、何だか涙が出てきた。 神さまは賛美のうちに住まわれる。 賛美があると部屋の空気がさっと変わる。 賛美には理屈を越えた力がある。
[DP/2]残り13セット。淡々と校正。3セット終えて、残り10セット。編集部へ04をメール。
詳細:05(3), 06(4), 07(3)の3パッケージ。
(^-^)V
にっこりぃ!
最近サムエルをほったらかしていたら、 お友達からたくさんリンクカードをもらっていた模様。 みんなとお友達になってもいいよ、とサムエルに言っておく。
以下、思いつくままの自動書記。
複数の仕事をすることについて。
私は複数の仕事を並行して行っている。 まあ、多くの人はそうだろうけれど。 複数の仕事というのは、 たとえば書いた本の校正、連載記事の校正、新しい本の執筆、 連載記事の執筆、Webの更新、メールマガジンの執筆、 新しい企画の検討、提案、などなど、 そういうことである。 並行して行っている、とはいっても、本当の意味で同時に複数の仕事ができるわけではない。 一度には1つの仕事しかできない。ということは、つまり、 複数の仕事を切り換えつつやっているということだ。 私なりにしっくりきている仕事のやり方はこうだ。
まず、新しい仕事に名前を割り振る。 たとえばデザパタ本の場合は[DP]という名前をつけた。
そしてパソコンにその仕事をするためのディレクトリを作る。 [DP]の仕事をする場合には、そのディレクトリ上であれこれ考える。
考え事はエディタ上で行う。 ちょうど、にっこり微笑んで静かに私の話を聞いてくれるパートナーに対して話すように、 私はエディタに向かって話す。というか、考える。手を動かしながら考えていく。 この仕事のポイントは何か、どういう形に進めていくべきか。いつ、誰に対してどういうアクションを行うか、 自分が勉強すべきこと、読むべき本、参照すべきWebページは何か、 …そういったことを書いていく。エディタで書くときには、何でも書く、というのがポイントだ。 人に見せるわけでもないから、思いついたことをどんどん書いていく。 そのうちに人に見せられるものの元ネタが出来てくる。
疲れたら他の仕事にうつる(つまり、他のディレクトリに移る)。 そしてその仕事で前回やっていたことを思い出す。 思い出す、っていうのは、 前回書いていたファイルを読み返すことに相当する。 たいていの場合、前回書いていたファイルを読むと、驚く。 なるほどね、と思ったりする。それだけ私は忘れっぽいのだ。
文章を書くのはテキストエディタを使う。 ワープロやアイディアプロセッサのような特別なソフトはいらない。 理由はいくつかある。エディタはすぐ起動するし、反応も早い。 それに自由度が高い。そして最も大事なことはテキストファイルがもっとも寿命の長いファイルフォーマットだ、 ということだ。 いまディスクをちょっと探してみたところ、 10年以上前にも、私は似たようなやりかたで仕事をやっていた。 そのころ書いた原稿ファイルも見つかった。 そのころ書いたアイディアメモもまだ生きていた。 テキストファイルだからだ。 私はときどき、夢空間への招待状の原稿をWebで公開するが、 それは、当時書いていた原稿がテキストファイルで生き残っているからできることだ。 きっと、いま書いているたくさんの文章(その中には、すぐ編集部に出すものもあるし、Webで公開するものもある、 そしてとりあえずは公開することを考えずに書いているものもある)も、 いつか熟成すれば形になることだろう。
他の仕事にうつる前にやっておくべき大事なことは、 現在自分がやっていたこと、ひっかかっていたこと、 できたこと、などの「自分の(その仕事における)現在の状態」を 文章の形でテキストファイルに残しておくことだ。 この文章が次回の仕事のスタートポイントとなるのだ。
こうやって複数の仕事を並行して進める基礎となっている技術は何だろう。 タッチタイピング。テキストエディタの取り扱い。 テキストファイルの取り扱い。ディレクトリの管理。 自分が考えていることを文章化する力。 あとは、さまざまな処理をconsistentに行うこと。 それくらいだろうか。 複数人での共同作業なら、他にもいろいろ工夫すべきことはあるだろうが、 複数の仕事を一人でする場合には、このくらいで十分だ。
大事なことは、 ちょっとだけ「試す」技術と、 自分の毎日の仕事として「使い続ける」技術を分けて考えることだ。
ああ、そうだ。メールについても書いておこう。 特定の仕事にからんだメールの表題には仕事の名前を付けておく。 たとえば、デザパタ本の場合には[DP]をつける(少なくとも[DP というプレフィクスをつける)ようにしている。 そうすると、メールの振り分け機能をつかって、ある仕事に関連したメールを自動的に整理できる。 そうやって振り分けしたメールを元にして、 私は「読者の声」というページをサイトのあちこちに作っている。
複数の仕事を進めることに関して、思いつくまま書いた。
以下のページもご参考に。
[DP/2]残り14セット。淡々と校正中。1セット終えて、残り13セット。
詳細:04(3), 05(3), 06(4), 07(3)の4パッケージ。
(+_+)φ
…疲れた。
[DP/2]残り16セット。淡々と校正中。2セット終えて、残り14セット。
前向きに考えるということ。
物事がうまく行かないとき、思い通りにならないとき、 事実をねじまげることが前向きなのではない。
事実と評価は異なる。 自分をゆさぶる何か(事実)があったとき、 まず、それをよくない(評価)と感じている自分に気づくこと。 そしてそのよくない(と感じる)ものを、きっかけ、 トリガーとして利用しちゃうこと。 そのあたりにプラクティカルな解決の1つがあるように思います。
高いジャンプの前では必ずかがむもの。ピンチがチャンス。失敗は成功のもと。
もし神さまへの信仰があるなら、 さらに 「現在の状態を通しても、神さまの栄光が表されるように」 という発想の転換も大切なことですね。 神さまを信頼すること。神さまに委ねること。 委ね切れない自分をも委ねてしまうこと。
単なる否定的な言葉、破壊的な言葉、つぶやきとためいき、 は物事の解決にはならない。気晴らしにすらならない。 愚痴や後悔で人生を埋め尽くすには、人生は短すぎる。
後悔。 「あんなに後悔ばかりしなければよかった」というのは後悔の再帰呼び出し。 そんな自分を笑い飛ばし、次に進もう。今日を歩もう。
もちろん「前向きな考えなんか出来れば苦労はないよ」という意見もあるでしょう。 特に、気圧が低いときや、お腹がすいているときや、睡眠不足のときにはそう感じる。 習慣の力も大きい。つい愚痴を言う。つい人のせいにする。つい状況のせいにする。 つい自分を責める。つい、つい、つい…。
どうせ文句をいうなら、 徹底して真剣に、神さまに訴えるというのもよいかもしれない。 いわばゲロを吐くような祈りとでもいいましょうか(失礼)。
自分のちっぽけな枠の中に神さまを押し込み、 自分のちっぽけな箱庭の中に自分を押し込み、 あいちゅが悪い、こいちゅが悪いったってしょうがないよね。
あいちゅも こいちゅも ゆるしちゃえ。
ゆるしたもん勝ち。
さあっ、今日も行こう!
[JN] やっと書けた。ふう。メール、メールっと。 ロギングも奥が深いなあ。 それからlog4jとjava.util.loggingの間の確執(?)のようなものもちらりと見えたりして。 APIにも覇権争いがありますねえ。 これもまたノアスフィアの領土争いかもしれない。 …と、他人事のように書いてみたりする。
今日のお仕事は一応おしまい、かな?
[DP/2] まだあった。 そうそう、編集の担当さんからメールが来ていたのであった。 コメントをぱたぱたつけて、返信っと。
これで今日のお仕事はおしまい、おしまい。 日記ダイジェストでも更新することにしよう。 今回は2001年11月分を更新。
[JN] まだ書いている。
昨日の続きの話。
というわけで、自分の企画を通すためには作戦が必要だ。 一言でその作戦をいうなら「相手をよく知り、自分をよく知り、策略をめぐらさない」ということだ。 でもこれではよくわからないから、もう少し具体的に書こう。
自分の企画がある。それを出版してもらうにはどうするか、という話だった。 これは出版に限らず、よくある話だ。自分の企画、自分の考えを、 家族・同僚・上司・…に伝え、何らかの承認をもらうという局面だ。
相手にいうことをきかせる魔法の呪文は存在しない。 私だってそんな呪文は知らない。100%うまくいく方法など知らない。 でも、比較的うまくやる方法は知っている。こうする。
まず、相手の承認が必要なのだから、自分の気持ちを忘れ、相手の気持ちになってみる。 相手は、いま、どんなことを考えているだろうか。 何をしたいと思い、 何をしたくないと思い、どういう話はうれしく思い、 どういう話にいやな顔をするだろうか、 を考えてみる。 でも、間違えないでほしいのは、 「相手を喜ばせる話を持っていけばいいんだな」と短絡的に考えてはいけないということだ。 大事なのは、相手の気持ちにまずなってみる、ということ。
そうすると、 「私は相手のことを何も知らないのだ」ということにすぐ気がつく。 相手がどこで何を考えているか、いま気にかかっていることが何か、 を知らないことに気がつく。
(さて、そこに気がついた後、どうするかは、自分で考える部分なので省略)
で、それを踏まえた上で「自分は何をどうしたいのだろう」と考える。 何をしたいか、どういうことをしたいか、 そのしたいことでは「何が最重要ポイントなのか」をよく考える。 それは自分にとっての話でかまわない。 きちんと優先順位を考える。
そこまで考えてくると、おのずから「作戦」は見えてくる。 いつ、何をどういう順序で、どういう手段で相手に伝えるべきか、 どうすればもっとも自分の考えを効果的に伝えられるかがわかってくるはずだ。 その方法は画一的ではない。なぜなら、相手は一人一人違う人間だからだ。 でもとっぴなことを考える必要もない。なぜなら、相手は自分と同じ人間だからだ。 姑息な「策略」はあまりめぐらさないほうが無難だ。 それは相手の立場に自分を置いてみればすぐにわかる。
どのくらい効果的にプレゼンテーションできるかどうかは、 自分の想像力にかかってくるだろう。でもそれは(いうなれば、単なる)技術の問題だ。 自分の人格とは独立だ。だから、プレゼンテーションがうまくいかなくっても、 落ち込むには及ばない。落ち着いて振り返り、何がまずかったのかをよく考えればよいだけのことだ。
ネガティブな思考に陥りがちな人は、 そこからの脱却方法を自分なりに考えておいたほうがいい。 自分から企画を提案して仕事を進めていくときには、 フットワークを軽くしておいたほうがいいからだ。 何か障害が起きるたびに「私はいつだって駄目なんだよなあ」と落ち込んでいたら、 時間がもったいない。もちろん、そういう繊細さは1つの個性だし、大切なものだ。 いつもガハハと笑っていればいいというものでもないだろう。 でも、ちょっとした障害(人的な障害、経済的な障害、技術的な障害)に対しては、 チャキっと割り切って「それがどうした」と進む大胆さも必要だろう。
と書くと 「ああ、私はいつもネガティブで駄目なんだ」 と再帰的なネガティブ思考に入る人もいるかもしれない。 これはスタックオーバーフローを起こすかもしれないので、注意しよう。 そんな状態に落ち込んだ自分をポーンと笑い飛ばして、 にっこり微笑んで、次に進んでいこう。 人生いろんなことがあるけれど、神さまがいらっしゃるので、大丈夫。
思いつくまま書いてみたけれど、 あまり他の人の役には立ちそうにないな。
そういえば、 こういう薀蓄を人生にからめつつ話すっていうのは、 むちゃくちゃオヤジっぽいですね。
まあ、いいけど。
[JN] UNIX USER向け、 java.util.loggingの解説記事を書いている。
「テキストとプログラミングに関する寡黙な情報集」 textfile.orgのレイアウトをちょっぴり変更。 一ページの分量が多すぎるようになったので、 トップページには最新情報だけを置くようにした。
数日前の話だけれど、 新しく執筆する本に関して、編集部と打ち合わせをした。 本を執筆することに興味がある人のために、 私のやり方について少し書いておく。 時間がくるまで、思いつくまま書くので、まとまらないけれど、ご容赦。
本を出版するといってもいろんな形態がある。 連載記事を本にまとめる場合もあるし、 編集部から依頼を受けて書く場合もあるし、 自分から企画を出して書く場合もある。 どちらの場合でも、編集部の意向や出版計画との兼ね合いというものが生じる。 そういう意向と独立に本を出したい場合には自費出版という手もある。 私は自費出版で出したことはない。
雑誌ですでに連載記事を持っていた場合には、 連載記事をまとめて1冊の書籍にする、というのはとても自然な発想だ。 連載記事に書いた記事が素材としてあるから、 1冊にまとめるまでの計画が立てやすい。 しかし注意しなくてはいけないのは、 連載記事をただ順番に章にしても、きちんとした本にはならない、 ということだ。特にコンピュータの世界は時間の流れが速いから、 1年たった記事の内容は古くなっている可能性が高い。 これをup-to-dateにしなければならない。 それから、雑誌の連載記事というのは1つ1つの記事の独立性が高いものだから、 一冊にまとめたときに散漫な印象を与えてしまうことがある。 そのでこぼこをきちんと整える必要がある。
編集部から依頼を受けて書く場合には、 その企画の内容が自分で書くことが可能かどうかを吟味しなければならない。 技術的に可能か、時間的に可能か、などなど。 それから(私はとてもこれが大事だと思うのだが) その企画の本を自分が「書きたいか」というのも大切なことだ。 ただ機械的に、やってきた企画を本にまとめていく、 という仕事をしたいならば別だけれど。 自分の中に何らかの大きな流れのようなものがあって、 できるだけ、そこに結びつくような企画がいいのではないか、 と私は思っている。 抽象的でごめんなさい。
自分から企画を出して書く場合には、 自分の興味が持てて、しかも技術的に可能な内容を出すから、 ハッピー度は高くなる可能性がある。 でも今度は、編集部にOKしてもらわなければならないだろう。 そのためには、作戦が必要だ。
おっと、時間だ。ごめんなさい。続きはまたいつか。
文章教室を更新しました。
[JN] 夜中に目が覚めて、ちょっぴり仕事。 APIリファレンスを読むのは楽しい。
午前中は礼拝。帰ってきてお昼寝。
午後から長男を連れてお散歩。 パソコンショップでぶらぶら。
[DP/2]
夕方から喫茶店でお仕事。
淡々と校正である。(._.)φ
… 7分の2まで来た。先は長いな。
XMLHackによれば、 GoogleもSOAPのWebサービスなインタフェースを作ろうとしている模様。 これからあちこちでそういうWebサービスが出てくると思うんだけれど、 どうやって課金するんだろう。 どういうビジネスモデルにするんだろう。 プログラム相手に広告してもしょうがないしねえ。 やっぱり何か認証を入れて、ライセンス商売にするんだろうか。
[EP]ばりばりと仕事。今回はTie::Hash。
[JN]ばりばりと仕事。今回はJ2SE 1.4のlogging。
(+_+)φ
ばりばりばり、ばり、ば…ふみぃ。
ところで、UNIX USERのJavaの連載はあと何回かで一区切りをつけ、 新雑誌で新連載がはじまる予定です。
先日、新連載の打ち合わせで編集部の方と打ち合わせをした。 編集部の方とは前もってメールで何回かやりとりをした。 私はいま連載できる内容をいくつか候補としてメールしておいた。 そして、打ち合わせ前に「自分としての落としどころ」をよく考えておく。 つまり「私としてはどういう路線でどういう連載をいつからするのがハッピーか」というのを あらかじめ考えておく。 でも、あまり考えすぎない。 編集部には編集部の意向があるし、ほかの連載との兼ね合いや、 対象読者層へのアピールもある。 私だけがつっぱしって考えてもしょうがないからだ。 ともあれ、前もって考えた上で打ち合わせに臨む。 打ち合わせで大事なのは、自分が何を言うかではなく、 相手が何を言うか、である。自分の情報を開示しつつ、相手の意向をくみ取る。 そしてその上で、両者にとってもっともハッピーな方向に話を進めていく。 ある点に関して「どちらでもいい」といわれたら、自分にとってハッピーなほうを選ぶ。 自分にとって「これはどちらでもいい」という部分があったら、相手に選んでもらう。 時には細かい点に注目し、時には全体の統一感を重要視し、 おかしな方向に行かないように注意する。 雑談を交えつつ、そういう打ち合わせが進むと、何だかとっても充実した時間を過ごせる。 打ち合わせの相手をしてくださる編集者の方もさすがでして、 私がその場でチョイスできるように連載の切り換え時期などについて、 前もって準備しておいてくださっていた。 こういう前準備があると、いろんなことが即決できる。ありがたい。 そして、とても大事なことは、互いに信頼しつつ率直に話をすることだと思う。 時期のこと、お金のこと、分量のこと、率直に材料を机の上に広げて、 一緒に検討することができれば、無用な誤解の危険性はとても少なくなる。 そして、満足度の高い仕事ができるように思う。
4月1日に出したクイズの解答編です。 最速解答者は鷲崎弘宜さんでした。
ほら、おとうさんにピアノを聞かせてあげなさい、 と家内が長男に言う声を聞きながら、 私は次男を抱いてソファに座る。
長男は、一瞬口をへの字に曲げた後、真面目な顔になり、はい、と答える。 ソファに向かって軽く頭を下げ、ピアノに向かう。 背筋を伸ばして指をゆっくりと鍵盤に乗せる姿はなかなか さまになっている。 いつもはドアを隔てて、仕事部屋の中で聞いている曲が眼前で始まると、 私は胸のうちから湧き上がるうれしい気持ちを抑えられなくなる。 長男は、小さな一人のピアニストとして演奏を続ける。 時に力強く、時に優しく、時にまるで歌でも歌うような表情をする。
曲が終わると、余韻を残しながらそっと鍵盤から指を離し、 手を膝の上に戻してから、ゆっくり立ち上がり、礼をする。
私と家内と次男が、拍手をする。
コンプレックスについて書こう。
中学、高校と、勉強が楽しく、成績もよく、 問題なく大学にも行くことができた私は、 大きな勘違いをしていた。 つまり、大学まで来たからには、大学院と進み、 さらには大学の先生になるのが「普通の」ルートではないか、 などと考えていたのである。 自分の研究テーマなどはあったわけではない。 私は、ただ単に小学校→中学校→高校→大学→大学院→というルートを 通るのが流れである、筋である、それが決まった道である、 と思っていたのだ。 いまから思えば愚かとしかいいようがないが、20代の頭でっかちはこんなもんだ。
その後、さまざまな事情から私は大学から離れ、 プログラミングの仕事を始めることになる。 しかし、私は、どこか心のうちで、道からはずれてしまった、 自分の考えていた未来像からずれてしまった、 という意識を持っていた。 一種のコンプレックスが自分の中に残ることになる。
プログラミングの仕事をはじめて3年ほど経った頃だろうか、 どうしたことか、昔の同僚と飲み会に出席する機会があった。 その同僚は、私が昔、夢想していたルートをそのまま通り、 現実化し、大学の先生にすっとおさまっていたのだ。
飲み会の帰り道、たまたまその同僚と私は電車の中で立ち話をすることになった。
今、思い返してみてもどういう話の行きがかりだったか覚えていないが、 その同僚は、私に、こんなことを言った。あくまで何気ない一言である。
「君は、つまらんプログラムを書いてるんだな。つまらん仕事だ」
そのとき、私の中の何かが爆発した。 私は、ほかの乗客のことなどまったく省みず、 自分に出来る限りの大声を電車の中で出して、相手をなじった。
私は誇りをもって自分の仕事をしているのだ。 何も分からんくせして知った顔をするんじゃない。 ばかやろう。とどなって、私は相手を突き飛ばした。
その同僚は、私の態度にどう感じたのだろう。 私にはわからない。 しかし、私に非礼をわび、馬鹿にするつもりで言ったのではない、 と述べた。
私は、憤懣やるかたなく、電車を乗り継ぎ、 不愉快な気持ちで、妻の待つ自分のアパートに帰った。
その夜、私は、どうにも自分の心の中でおさまりがつかないものを感じ、 私の妻に、今日あった一部始終を語った。全部、全部、ありのままに。 おそらくは、途中から、泣き虫の私は泣いていただろうと思う。
妻は、私の話を無言でじっと聞いていた。 私が話し終えてうなだれていると、 私の涙で濡れた両ほほにそっと両手をあてて、彼女はこう言った。
「でも、わたしは、いまのあなたが好き。 あなたは大学の先生などならなくてもいいのよ。 きっとそうなっていたら、あなたは今よりずっとピリピリしてたと思う。 もっと神経質な生き方をしていたと思う。 わたしは、いまのあなたが一番、好き。 あなたはとても素晴らしい仕事をしているのよ」
私のささやかなコンプレックスは、その日を境に完全に消えてしまった。 その同僚に対する恨みがましい心もまったくなくなってしまった。 そして、私は、 神さまが与えてくださる妻は何と素晴らしいものか、 と深く知ることとなる。
妻に感謝し、 主の御名をほめたたえます。
[DP/2] 淡々と校正である。現在は、編集部からの疑問点に対する解答を作成している段階。現在7分の1が終了。 ソフトバンクパブリッシングの編集の方はとてもていねいなお仕事をしてくださるのでありがたい。 今回の本もとてもいい感じの本に仕上がりそうです。何だかわくわくします。
こうやって、本を作っていく過程をいちいち日記に書いていると、 みんなで(というのは、この日記を読んでいるあなたと)一緒に作っているような気分になってきます。 まあ、それは、錯覚といえば錯覚なのかもしれませんけれど…。 でも、せっかく時間と労力をかけて仕事をするのですから、楽しまなくっちゃね。 また本が完成したら、Webでお祝いしましょうねえ。
All About Japan [スーパーおすすめサイト大賞2002]で、 当サイトが「編集長・審査員特別賞」を受賞いたしました。
もともと推薦していただいたのは、 「技術系メーリングリストで質問するときのパターンランゲージ」 のページでしたが、広くhttps://www.hyuki.com/ のサイト全体として受賞ということのようです。 推薦していただいた方々、応援してくださった方々に感謝し、 イエスさまにすべての栄光をお返しいたします。
「ビジネスへのネット活用」ガイド、藤田 幸江
※「技術系メーリングリストで質問するときのパターンランゲージ」コーナーを推薦! JavaやPerl言語等の技術書を執筆している結城浩さんのホームページの「結城浩の心がけ」中の一部。副題の“「問題の解決」から「情報の共有」に至るために ”とあるようにMLや掲示板等で質問をし適切な回答を得るにはコツがある。 その他、“文章を書く心がけ”“インターネットの心がけ ”“仕事の心がけ ”など、誰でも理解し実践できるように親切に導いてくれる。全体に流れるほのぼのとした感じもとてもよくおすすめです。
ネットレイティングス株式会社 代表取締役社長 萩原雅之氏
評価コメント:
結城浩さんは、Java やPerl に関するわかりやすい技術書でプログラマーやエンジニアの間では有名な方である。 しかしホームページの方は、技術者に限らずすべてのネット利用者に読んで欲しい。 受賞サイトも「技術系」とあるが、実はネットで円滑なコミュニケーションを実現する優れた処方箋なのだ。 プログラミングから生活の心がけまで、優しい表現で普遍的なものが語られ、作る方も読むほうも幸福になれる。 個人サイトのひとつの理想だと思う。
昨晩は久しぶりに(かな?)、[Letter]を送る。
仕事でもプライベートでもいろいろな出来事が怒涛のように押し寄せてくるのだけれど、 イエスさまがいらっしゃるので大丈夫。 イエスさまがいらっしゃれば、どのような嵐であっても凪(なぎ)のようなものなのですから。
現在、[DP/2]の校正をしつつ、新しい本を2冊書きはじめようとしています。 どうかこの働きの上にも神さまの導きがありますように。 どうも、肩に力が入っていたようなので、ちょいと気楽に進もうと思っています。 本を書くって肉体労働のようでして、いくら考えても進まないんですよ。 まず、ちょっと書いてみると感触がつかめてくるので先に進む。 どんどん書いて、どんどん直していく。そういうのが私のやり方みたいです。 まあ、不器用といえば、不器用。
イースターに洗礼を受けるという方からメールをいただいておりました。 先日のイースター礼拝で洗礼を受けられたとのことです。 プログラミングに関わるお仕事をなさっていらっしゃるようです。 とてもうれしいので、許可を得て、以下にご紹介いたします。
この方の人生に神さまからの大いなる祝福がありますように。 また、この方を通して、 イエスさまの福音がたくさんの方に伝えられますようにと祈ります。
ハレルヤ!
明日、イースターに洗礼を受けることになりました。 とても個人的なことなんですが、 結城さんに聞いていただきたくて、メールしてしまいました。 私は仕事でプログラミング(もどき)をやっている関係で、 何か良いサイトがないかな…と探しているところで 結城さんのサイトを見つけました。 キリスト教の求道中でもあった私には、「プログラミング」と 「イエスさま」が1つのサイトで見れる、不思議でとってもいい サイトにめぐり合えて感謝しています。 (これも、神さまのはからいでしょうか?) へこんでいるとき、結城さんの文章に励まされたこと、力を いただいたこと、何度もあります。ありがとうございます。 これからも、結城さんのページ楽しみにしています。(^^) ではでは。
寝込んでいるうちに、140通以上メールがたまっていた。とほほ。
数年前からメールのやりとりをしているKurtくんから メールが届いていた。 ちなみにどうでもいいことだけど、Kurtくんは、 「Dear Hiroshi」ではなく「Dear Yuki-san」という書き出しでメールをくれる。
メールにはPDFになった論文が添付されていて、読んでほしいとのこと。 Kurtくんは、複雑なセキュリティシステムを研究しているLedeog Universityの研究者で、 最近は、認証システムにおけるグルーピングの研究のようなことをしている。
簡単に説明する。 普通、認証システムというとユーザがパスワードを入力して、 そのユーザが有効なパスワードを入れたかどうかで、 ユーザを認証する。 グルーピングというのは複数のユーザをグループと見なして、 そのグループ単位で有効/無効を判断しようというものである (ちょっと説明がうそかもしれません。 グループの構成員が互いに相手を認証しようというのかも。ちょうどCAのように)。
今回のKurtくんの論文は、 そのグルーピングの実装例のようだ。 もう公開されている論文のようなので、勉強も兼ねて前半部分の要点を以下に書いてみよう (前半部分は例が具体的でわかりやすい。後半部分は難しそうな数学が展開されていて意味不明なのだ)。
まず、セキュリティシステムとして、クレジットカードのようなカードを考える。 カードには情報が記録されている。 ある建物に入るためにはそのカードをスキャナでスキャンしてOKが出なければならない。 このOKがでる、ということを「スキャナを通る」と呼ぶことにする。
カードに記録されている情報は以下の(1)〜(4)のいずれかのパターンである。 *はS, N, Dの文字の0個以上の任意の組み合わせとする(正規表現の*ではない)。
(1) S* (例: SNDS, SDS, SSNDS) (2) NS* (例: NSS, NSDS, NSNDS) (3) DS* (例: DS, DSS, DSNSNDS) (4) NDS* (例: NDSS, NDSNSS, NDDS)
つまりカードに記録されている情報はSではじまるか、NSではじまるか、DSではじまるか、NDSではじまるかのいずれか、 というわけだ。
スキャナには、以下のルールがプログラミングされている。 ⇔は必要十分条件を表す。 **は*に該当する文字列が2回繰り返されることを表す。 例えば*がSNSのとき**はSNSSNSである。
ルール(a) *のカードはスキャナを通る ⇔ S*のカードは有効 ルール(b) *のカードはスキャナを通らない ⇔ NS*のカードは有効 ルール(c) **のカードはスキャナを通る ⇔ DS*のカードは有効 ルール(d) **のカードはスキャナを通らない ⇔ NDS*のカードは有効 ルール(e) このスキャナを通るカードはすべて有効なカードである。 ルール(f) 有効でないカードは決してスキャナを通らない。
仮に、SDSNSのカードがスキャナを通るとしよう。 →ルール(e)により、SDSNSのカードは有効なカードになる。 →ルール(a)により、DSNSのカードもスキャナを通ることになる。 →ルール(e)により、DSNSのカードは有効なカードになる。 →ルール(c)により、NSNSのカードもスキャナを通ることになる。 →ルール(e)により、NSNSのカードは有効なカードになる。 →ルール(b)により、NSのカードはスキャナを通らないことになる。
まあ、ややこしいルールだけれど、理解できないことはない。 そしてこれによって、複数のカードがなにやらグループを作りそうなのもわかる。
ところで、なぜこんなことをくどくど日記に書いているかというと、 論文を読んでいて疑問が起きたからなのだ。
Kurtくんの論文は「スキャナを通る(scannable)」という表現と「有効(valid)」という表現を きちんと使い分けている。 ルール(e)では「このスキャナを通るカードはすべて有効なカードである」とは 定めている。 しかし逆の「有効なカードはすべてこのスキャナを通る」とは定めていない。 「有効なカードはすべてこのスキャナを通る」とは言えないのだろうか。これが私の疑問だ。
ここまで飽きずに読んできてくださった方、 より詳しい議論とKurtくんの論文をtar+gzipしたものは、以下のページに置いてあります。 興味のある方はどうぞ。
あなたのご意見・感想をお送りください。 あなたの一言が大きなはげみとなりますので、どんなことでもどうぞ。