> 結城浩の日記 > 2003年7月 | 検索 |
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四つの法則の ビル・ブライトさんが天に召されたとのこと(info from 共有日記)。
[CR] さまざまな方が、Web日記などで 『暗号技術入門 —— 秘密の国のアリス』に言及してくださっ(た|ている)。感謝いたします。 yomoyomoさん、 YUTAKAさん、 マツモトサトシさん(お風邪はいかがですか)、 かえるの寝言さんなど。ありがとうございます。
bk1.co.jpには内容説明も出ています。
暗号技術の基礎を、図表を多用し、数式をできるだけ使用しないで明快に解説。 企業セキュリティの担当者、技術者、プログラマはもちろん、暗号に関心のある一般の方にも最良の一冊。 日本で一番分かりやすい暗号技術の入門書!
とのこと。
私も、今日校正しながら「とっても面白い!」と感動していました。 (^_^)
ちなみに奥さんは前書きを読んでにやにやしていました。
[CR] 簡単なスクリプトで定期的に予約数をモニタしてみると(ああPerlは便利だ)、 夜中に一度、売り上げランキングで35位になったようです。 みなさん応援ありがとうございます。 すごく励みになります。
『暗号技術入門 —— 秘密の国のアリス』の概略目次を以下のページで公開しました。
それはさておき校正作業は続く。
[CR] アマゾンで『暗号技術入門−秘密の国のアリス』が予約可能な状態になっています。 17:00現在で売り上げランキングが46位にもなっている…。 予約してくださったみなさま、ありがとうございます。
「幸福の王子」の翻訳ページへのアクセスが妙に多いのは、 「幸福の王子」というドラマのせいかもしれない、と思った。
お風呂で長男と会話。
私「熱気球っていうものがある」
長男「あ、知ってる」
私「大きな風船の下に、人が乗れるかごのようなものをつけて、そこで火をたく。すると風船の中の空気が温まって、風船が浮かぶ」
長男「そうだね」
私「ところで、どうして空気が温まると浮かぶんだろう」
長男「温度?」
私「それは説明になっていないね」
長男「よくわからない」
私「ええとね。空気を「温める」というのと風船が「浮かぶ」の間にあるのはどんな言葉だろう」
長男「熱気球?」
私「それは説明ではないね」
長男「よくわからない」
私「じゃあ、ヒント。どうなったら「浮かぶ」んだと思う?」
長男「わかった!「軽くなる」だ」
私「その通り。「温める」と「浮かぶ」の間にあるのは「軽くなる」でした。空気を温めると軽くなる。軽くなると浮かぶ」
長男「ふうん」
○ ○ ○
私「では、ちょっと話を変えよう。ゴム風船の中に温かいお湯を入れて、水の中に入れると…」
長男「あ、わかるよ。浮かぶんだね」
私「そうだね。ところで、どうして温かいお湯は浮かぶんだろう。「温かい」と「浮かぶ」の間にある言葉は何だろう」
長男「わかんない。熱?」
私「ヒント。どうなったら「浮かぶ」んだと思う?」
長男「うーん…」
私「さっきと同じことを聞いているんだよ」
長男「あ、そうか「軽い」と浮かぶんだ」
私「その通り。お湯は「温かい」から「軽い」。「軽い」から「浮かぶ」」
○ ○ ○
私「では、ちょっと話を変えよう。ゴム風船の中に冷たい水を入れて、お湯の中に入れると…」
長男「今度は沈むね」
私「どうして水は沈むんだろう。「冷たい」と「沈む」の間にある言葉は何だろう」
長男「さっきの逆だよ!「重い」だ」
私「そのとおり。「冷たい」水は「重い」。「重い」から「沈む」」
○ ○ ○
私「また話を変えるよ。風船が浮かぶのは軽いからだ、という話をしたね」
長男「うん」
私「熱気球は、空気を温めて軽くしていたんだ」
長男「そうだね」
私「でも、空気を温めなくても、最初から軽いガスを入れても気球ができる」
長男「あ、知っているよ。うーんとねヘリウムとか」
私「そうそう。よく知っているね。軽い気体としては、水素やヘリウムなどがあるね」
長男「水素はだめなんでしょ。ドイツの飛行船が事故を起こした…」
私「そう、ツェッペリンが爆発したんだ」
長男「水素は急激な化学反応を起こすからだよね」
私「そうだよ。じゃあここで話を整理しよう。ものが浮かぶのは軽いからだ。温めて軽くしてもいいし、最初から軽い気体を使ってもいい。また、水よりもお湯は軽いから浮かぶ」
長男「ふんふん」
私「水の上に油を入れると浮かぶけれど、あれはなぜだろう」
長男「油が軽いからだね」
私「そう。では油の中に水を入れるとどうなるだろう」
長男「沈むんだね、きっと」
私「きっとそうだね」
礼拝の後、午後はぐっすりとお昼寝。
目が覚めてThawを少しいじる。 削除機能を作った。
[Thaw] ところで、Unit::Testで何をテストしているかというと、 最近こっそり作っていたCGIです。 Thaw(ソー)という名前を仮につけました。 Thawは、ユーザが自由にスレッドを立てて、書き込めるタイプの掲示板です。 書き込みがあったスレッドはスレッド一覧の上に来ます。
Perl + HTML::Template + Unit::Testで作っています。
まだできたてのほやほやで、 最低限の機能(スレッドを立てる、スレッドに書き込む)くらいしかできていません。 興味のあるかたは、以下のリンクをたどると触ることができます。 自由にスレッド立てたり、書き込んだりして遊んでかまいません。 デバッグしている最中なので、 あるときデータはばっさりなくなるかもしれませんけれど。
子供を連れてお出かけ。
帰ってきてから、最近作っているCGIのUnitTestを作り始める。 Test::Unitを入手して、perldocを読む。 自分が作ったクラスに対応したTest::Unit::TestCaseのサブクラスを作る。 その後、AllTestsというCompositeクラスを作って、 TestRunner.plからAllTestsをテスト。 まずはOKになって当たり前のテストから、と思ったらいきなりバグを見つけてしまった。 苦笑。
Perlだと、すさまじいテストが1行で書けたりする。 たとえばこんなの。 sanitize関数を通したら、文字が全部エスケープされるというテスト (sanitizeとcontains_invalid_charをテストしている)。
sub test_sanitize_many1 { shift->assert(not contains_invalid_char(sanitize(join("", "\x00".."\xFF"))); }
join("", "\x00".."\xFF")
という部分で、256バイト長の文字列を一気に作っている。
さらに作業。 順番が逆になっちゃったけれど、h2xsでモジュールのボイラープレートを作り、 t/1.tを削除してt/all_tests.tを作り、この中でTestRunnerを動かすようにしてみた。 そうすると、perl Makefile.PLして、nmake testするとちゃんと自分が作ったUnitTestが動く。 めでたい。
こういうときに参考になるのがEffective Perlという本ですね。
さらに作業。 次のモジュールのテストケースを作ってみる。 テストケースを作りながらコーディングすると、 引数のチェックとかをきちんとやるようになりますね。 それから、ユニットテストしやすいモジュールを作ると、 モジュール間の連携を疎になるようにしようという気持ちが働きますね。 低結合(low coupling)の心。
もっと作業。 うーん、テストが増えてくると、どんどん楽しくなるね。 気になったところをテストに追加していると、 何だか安心してコーディングやリファクタリングができる。 いま30個ほどテストがあるが、実行するのに1秒くらい。 ちょっとコーディングしてはテストして、おかしくないことを確かめつつ進む感覚だ。
リンクのたどり方にバグがあり、 しかも適切な時間間隔をあけずにガンガンアクセスするという、 愚かで行儀の悪いbot(自動的にWeb情報を収集するプログラム)がやってきた。
具体的に言うと、".."の扱いがバグっているため、 うまく上に戻れず、山ほど404を出してしまう。
ねえ、botくん、ご主人様に言ってデバッグしてもらったほうがいいと思うよ。
加筆
上記の日記の表現に対して読者の方から 「不愉快な表現です」というコメントをいただきました。 ので、以下に少し補足いたします。
不愉快なお気持ちにさせてしまってすみません。 実は、これには背景があります。 botの中には(よいbotもありますが) 「迷惑メール(spam)のためのアドレス収集をする」 「セキュリティホールを探し回る」 といういやなものもたくさんいるのです。 日ごろspamで非常に不愉快な感情をいだいているので、 上記の日記のような表現になったのだと思います。
表現を改めるつもりはありませんが、 日記に加筆しておくことにします。 コメントありがとうございました。
今日は@ITの編集部を訪問。編集者さんと情報交換をしました。
興味深いお話がたくさん聞けて楽しかったです(って書くと小学生の絵日記みたいですね(^_^;
)。
夜、家に着くと、ちょうど寝ようとしていた子供たちが起きて、 玄関まで走ってきて私をお出迎えしてくれた。とてもうれしい。 長男は、だっこだっこ!といいながら私にジャンプして飛びついてくる。 次男も、ちょっと遅れてやってきて、私にだっこしてくる。 「あのね、きょう、おかあさんに、あたらしい本、買ってもらったんだよ。ノアのはこぶねの本」 と次男が私に報告する。
家内が子供たちを寝かしつけている間、私はシャワーを浴びる。 出てくると、寝ているはずの次男がやってきて「ひとりでねられない。ごほん読んで」と訴える。 家内も長男ももう眠ってしまったようだ。 急いで着替えをして、次男を抱いてお布団に連れて行く。 「もうみんな眠っているから、ごほんは読めないよ。何か歌を歌ってあげよう。何がいい?」と聞くと、、 次男は「すくーぬしえすともにゅくみがいい」と主張する。
すくーぬしえすともにゅくみ、って何だろう?
わかった。 「救い主イエスと 共に行く身は」だね。
救い主イエスと 共に行く身は 乏しきこと無く 恐れもあらじ イエスは安き持て 心足らわせ 物事総てを 良きになしたもう 物事総てを 良きになしたもう (聖歌590番)
次男はすぐに静かな寝息をたてはじめる。
(以下は、ずっと以前に[perldocjp]に投稿した文章を手直ししたものです。お仕事の都合上Webに置きました)
結城浩です。
デザインパターン・メーリングリスト[DP/ML]と、 perl-lesson MLの管理者をしています。
2001年に、 デザインパターン・メーリングリスト[DP/ML]で、 「デザインパターンFAQ」の翻訳を共同で行った際の体験を簡単に書きます。
●動機
結城の心積もりでは[DP/ML]の立ち上げ期だったので、 ML参加者で「何か1つ」成果物をまとめたかった。 そこでFAQの翻訳をやることにした。
●人数
その時点で[DP/ML]は約700人いたが、翻訳に参加したのはおおよそ20人。
●進行手順
●期間
開始から2日で全部の翻訳に手がつき、約一週間ほどで収束に向かいました。
●メモ
以下、[DP/ML]の過去ログへのリンクです。
連載原稿を中心にいろいろと仕事。
ぐーぐー昼寝をしたり、ぼちぼちと仕事をしたり。
日記ダイジェストを更新。
匿名の読者から 夢空間への招待状に対して「とても面白かったです。掲載分一気に全部読んでしまいました」 というフィードバックが来て、とてもうれしい気持ちになる。 10年以上も前の文章だけれど、まだ楽しんでもらえるというのはうれしいことですね。
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礼拝。いろいろと恵みを受けて帰る。
礼拝の恵みについて。
たとえば前の週にあれこれ悩んで「ああかなあ、こうかなあ…でもイエスさまのゆえにこう考えてみよう!(本当はいやなんだけれど)」 ということがあったとする。 それが日曜日の礼拝メッセージの中で、 その悩みに呼応した内容が語られたりすると 「ああ、あれは確かに主にお従いしたことになったのだ」 とほっとするのだ。大きな恵み。
教会の牧師さんは、神さまからのメッセージを預かり、通り良き管として信徒に伝える。 その(みんなに語られている)メッセージの中から、 (今のわたし自身に語られている)メッセージを見出すというのは、 とても幸せなことである。礼拝メッセージの多重性・多層性。
私たちは毎日生きている。生活している。いろんな困難の中で、不足の中で生きている。 悩んだり、苦しんだりして生きている。 でも、それをそのまま生のままに動物的に受け取るのではなく、 今の自分にとっての意味を知ることができるなら、それは良いことだと思う。 あるいはまた、神さまがそうなさっているのなら、きっとそれは現在の私にとって必要なことなのかもしれない。 神さまは必ず私に最善を備えてくださる方であるから、と信じることができるなら、それはとても幸いなことだと思う。
先日あるクリスチャン向けの本を読んでいたら 「信仰というのは努力で得るものではなく、イエスさまからの賜物である」 という文章があって、深く考えさせられた。 そうか、信仰も神さまから与えられるものなんだ。 そうだよね。神さまが、とにかく、徹頭徹尾、「主」なのだから。
熱心に祈る。 熱心に祈ることは大切だけれど、額にしわ寄せて、 まるで念力を使うかのように努力したからといって、 信仰が与えられるわけではない。
ここからはちょっと微妙で説明が難しいのだけれど、 神さまに祈る。信仰を祈り求める。でも信仰を自分の力で得るもののように錯覚するのではない。 神さまが信仰を与えてくださことを期待して、神さまに信頼して祈り求めることが大事なのかもしれない。 それはとても平安な祈りだ。そして(誤解されるかもしれないけれど)「楽な」祈りだ。 高機能なLispインタプリタを全部Cで書くのではなく、すでに高速なLispコンパイラが与えられているので、 あとはLispでLispを組み上げればよいように楽だ。
うん、そうだね。 信仰を求める祈りそのものも、神さまへの信仰の表れとして祈るんだね。
祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。 そうすれば、そのとおりになります。 (マルコ11:24より)
信仰の再帰呼び出しのようだ。
[CR] 現在校正中の暗号本はこれまで『暗号とセキュリティ入門』(仮題)と表記していましたが、
『暗号技術入門 —— 秘密の国のアリス』
というタイトルになりました。*^_^*
現在、結城は初校を待っている状態です。 がんばって校正して、読み合わせをして、 早くみなさんのお手元にお届けしたいです。 結城の本に関わってくださる多くの方のご尽力に感謝するとともに、 よい本にしてくださるようにと神さまにお祈りいたします。 この本を通しても、神さまの栄光が表されますように。
今日のお昼は、家族みんなで牛丼の吉野家に行きました。 4人が食べても外食とは思えない安さ。 お店を出るとき、 次男は「ごちそうさま〜、とってもおいしかったね」 とにこにこ。
Webページの読者から、私が 「あなたのために、祈ります」の中に書いている 「なお、結城は、オウム真理教、ものみの塔、統一教会、エホバの証人とは無関係です」 という表現(以下※とあらわすことにします)に関して質問と意見をいただきました。
連絡先が分からず、転載の許可がとれないので、以下にこの読者の要点を記します。
順番にお返事します。
1. ※のように表現しているのは、いくつか理由があります。
2. 特に偽善的だとは感じていません。理由は次の3.でお話します。
3. はい、その通りです。すべての人を愛することは神さまの教えです。 でも、私は、※のように表現することと、すべての人を愛することが矛盾しているとは感じていません。 話が長くなるのではしょりますが、以下の(a)から(f)はすべて異なることです。
この違いは細かいことではなく、けっこう重要なことだと思います。 (a)からひとっとびに(f)を結論付けるのは誤りである、と私は思います。 できれば、時間をとってゆっくり考えてみていただけませんか。 私が上記の団体を名指しで「無関係です」と表現したことで、 あなたは「結城さんは、こういう団体の人たちを悪と決めつけ、切捨て、断罪しているのだろう。それはイエスさまの教えに反しているではないか」 と考えられたのかもしれませんが、それはずいぶん飛躍がある、と私は思っています。 ちょうどそれは上記の(a)から(f)を結論付けるような飛躍です。
「その人が属している団体の主張を異端と考えること」と「人を愛さない(=ゆるさない、受け入れない)こと」とはイコールじゃないですよね? ちょっと考えると詭弁に聞こえるのですが、そうではありません。
話がそれますが、「ある人を嫌う」と「ある人を愛さない」の混同も、とても危険です。 嫌うのは感情ですが、愛さないのは意志です。 私たちは嫌いな人でも愛することができます。これはとても大事なことです。 特に、自分や自分に近い人に対して。 自分自身を嫌いであっても、その人を嫌いであっても、 愛する(=ゆるす、受け入れる)ことは(困難ですが)不可能ではありません。 神さまの介入が必要ですけれど。
4. お祈り、ありがとうございます。 ネットワーク上の限られた情報のやりとりでは、互いの誤解を解くのはとても難しいと思っています。 しかし、神さまに介入していただくとき、もっともよいことが互いに起こると思っています。 フィードバックありがとうございました。
それから、 お便りの中には「※のようなことは、たずねられたときに答えればよいではないか」 とありましたが、私は、 はじめから自分の立場を明記しておくことのほうがよいと思っています。
補足:部屋の掃除をしながら、ふと、 ※のような表現で名指しされた団体に属している人が 「私は結城さんに受け入れられていないんだ」 と誤解する可能性を思いつきました。 確かにそういう可能性はあるかも。 今日のこの日記がその誤解を解く一助となるとうれしいのですが。
[VN] レビューア専用ページの準備。
[CVS] 読者からフィードバックをいただく。
村上春樹編集の『少年カフカ』を読んでいる。 『海辺のカフカ』の公式サイトで行われた、 村上春樹と読者とのメールのやりとりが収録されている本。 ちょっと長いが、面白い。
いつも結城は、書籍を書くときにボランティアのレビューアさんを公募しています。 一章書くごとにレビューアさんにメールで原稿を送り、レポートをもらっています。 しかし、現在書いている書籍に関してはレビューアを公募しない予定です。 ボランティアのレビューアさんはお願いするのですが、公には募集しないという意味ですね。 現在結城は、これまでレビューを完走したことがある方を中心に、 個別にお願いのメールを出し、応答を待っているところです。 (もしも、 これまで結城のレビューを完走したことがあるのにメールが届いていないという方がいらしたら、 結城あてにメールで教えてください)。
なぜ今回公募しないかというと、一言で言えば人数の問題です。 これまで、結城のレビューアをしてくださった方の多くは (少なくとも最後まで行き着いた方の多くは) 「次回の結城の書籍のレビューアもぜひやりたい」 とおっしゃってくださっています。 つまりはレビューアさんにはリピータが多いということです(感謝です)。 感謝なことですが、 すでにリピータさんだけで結城が想定している人数をずっとずっと越えてしまっているのです。 ということで、今回は公募しないという方法をとってみることにしました。
もし、 今回のレビューア公募がはじまったら応募しようと思っていた方がいらっしゃるなら、 本当にごめんなさい。
[VN] 再度、目次をじっくり考える。 原稿はCVSで管理している。 CVSにはだいぶ慣れた。 一人で使っている分にはRCSと大差ないわけだが。
[TRANS] Creative Commonsの人へメールを返す。
昨晩、家に帰ると長男が「だっこ」というのでだっこする。
[VN] 昨晩送ったメールの反応がすでに来ていて感謝感謝。
[Wiki] WalWikiの塚本さんとメールのやりとり。
[TRANS] Creative Commonsの人とメールのやりとり。
その合間に朝食を食べて、ごみ捨てをして、 「がおーがおー」と子ライオンのまねをしている次男の相手をする。 何だか濃厚な朝。
YukiWikiをwatchしていらっしゃる方はご存知と思いますが、
Wikiな人たちが集まったオフ会「Wikiでオフ会(=UkiUkiWiki(仮))」が開かれました。
といっても結城は参加したわけではありませんですが(^_^;
。
川合"Hippo2000"孝典さんの「この指とまれ」に、たくさんの方が集われた模様。
YukiWikiやみなさんの日記にはすでに当日の模様がアップされていますね。
楽しいひとときだったようで、本当によかったです。(^_^)
昨晩は、とある編集部の方と打ち合わせ&情報交換。 http://fitnesse.org/の話題も出て、ちょっとびっくり。 Wiki上でテストケースを書くと、それがテストされるというのはすごい発想だな、と思う。
で、思いついたことがあるんですが。 Wikiの上にプログラムを書くとそれが実際に動くというプログラミング言語はどうでしょう。 Wikiの各ページがそのまま関数やクラス宣言やメソッド宣言になっているというイメージ。 …でも、それってクラスブラウザを介して見たSmalltalk処理系ではないか、とも思う。 ふむ。クラスブラウザのフロントエンドとしてWikiを使う、というほうが正確かな。 …しかし、こういう活動は世界のどこかで絶対やっているはず。 やってなかったら、どなたかやってみては。
いわば、夏休みの自由研究。
いろいろと仕事。
[CR] 結城が書いている暗号本は出版に向けて順調に進んでいます。 現在は初校へ向けて進行中。 今日は組版のデザイン案について検討し、 編集長へフィードバックを返しました。 図版が多いので、編集作業はなかなか大変そうです。 編集長をはじめとする方々の活躍に感謝します。
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[PI]やっとできた。原稿送付。遅れてごめんなさい。
[REF]著者校正。
[PI]もう少し。
[PI]後は文章を書けばよい、はず。
[CR/g4]送付。
実家から梅ジュースが送られてきた。
お父さん、お母さん、ありがとう。(^_^)
早速電話してみたら、
実家では今度ADSLにするとのこと。
ふむふむ。
闇黒日記の平成十五年七月三日を読んでいたら、 自由に書き換えられる「ウェブ文書」の話題が展開されていた。 その中で、次のような文章があった。
例へば、大昔にはいろいろな人が寄つてたかつてテキストを磨き上げて「オデュッセーア」のやうな立派な詩を作り上げた事があるけれども、共同作業によつて立派な藝術が生れるには、作業に參加する人間の人間性が決定的な要素となる。古代に於ては、詩を愛好する人間のネットワークがあつたにしても、極めて限定的で、當然、參加者も極めて限定された、自然、極めてハイレヴェルな集合となつてゐた筈だ。しかし、現代のインターネットに於ては、共同作業は屡々、ノイズを集める事にしかならない事が多い。ネットワーク外でのコーディング作業が發生するオープンソースのプログラム開發は別として、テキストベースの共同作業は、制約のないネットワーク環境ではものにならない可能性が高い。
実は、私はこの意見にかなり賛同する。 人をただ集めて、野放図に共同作業をしても、 あまりよいものにはならないと思う。 闇黒日記ではテキストに限っていたが、 「作品」全般にそうだと思っている。
私は本を書くときに、公募したレビューアさんからの意見や提案、文章の改善案などをもらうようにしている (これは実験的にやっている面もある)。 その場合に、結城がレビューアさんに最初に伝えるのは、次のようなメッセージである。
さて、レビューの進め方について誤解があるといけないので、 補足説明しておきましょう。 このレビューは、 メーリングリストやグループディスカッションでは「ありません」。 みなさんとの話し合いで本の内容が決まったり、 多数決で何かを決めるわけでもありません。 みなさんからのご意見は大いに参考にしつつも、 結城浩が、著者として、 本の内容に関する全ての決定を行い、全ての責任を負います。
つまり、1つの作品は基本的に「1人の人格を通って作られるもの」だと私は思っているのである。 念のために書くが、これはバザール方式を否定しているわけではない。 手を動かし、目を効かせる人はたくさんいてもいい。 しかし、全体を取りまとめる人格は必要だ。
闇黒日記では、 「オデュッセーア」の例をあげていた。 少々話がずれるが、ここで聖書のことを考えてみよう。 聖書は66巻からなり、たくさんの著者が長い時代に渡って書いたものだ。 しかも、王から漁師まで著者は多彩だ。 しかし、聖書全体としては、驚くほどの一貫性がある。 私は、このことから「聖書全体を統べている1つの人格」の存在を感じている。
もちろん、その1つの人格というのは、神さまのことだ。
くたびれた。
プログラム書くのも、文章書くのも疲れたので、 プログラム書いたり、文章書いたりして遊ぼうかな。
[REF] JAVA Developer誌の編集部にて、 リファクタリング連載の次の連載の打ち合わせをした。 結城がプレゼンをして、編集者さんから意見をいただく。 そうそう、打ち合わせとは関係ないんだけれど、 JAVA Developer誌に登場するマンガの「のに子」さんって、妙に面白い。 業界のツボをついているような面白さがある。
[CR] その後、暗号本の編集者さんたちと打ち合わせをした。 暗号本、秋までには出版できそうかも。 本の中で、もたついていたところを思い切って編集して、 かなりすっきりした感じになった。 現代暗号技術の基本をきっちり押さえた、 とてもいい本に仕上がりつつあります。 結城浩の暗号本、どうぞご期待ください。
[PI] その後、がんばって連載記事を書き書き。 うう。
お手紙ありがとうございます。 ゆっくり読ませていただきました。
クリスチャンの彼がいて、あなた自身もイエスさまを受け入れている。 しかし、二人が会う時、肉的な欲求を振り払えない自分たちがいる。 それを通して自分自身の弱さ、自分自身のあり方、ご都合主義的な自分を思わされる。 そして責められているような思いから、しだいに教会へ足を運ばなくなってしまった…。 ということでしょうか。
この世にあって、若い男女が清い交際を持つということは至難のわざです。 何しろ、ほぼすべてのメディアがキリスト教の性のモラルに まっこうから反対しているのですから。
まとまった話にはなりそうもありませんので、 思い付くまま書かせていただきます。
私は結婚前、信仰の先輩から 「キリスト者の男女は向かい合うのではなく、並んで神に向かうのだ」 という言葉を聞きました。 男女が向かいあって世界を閉ざすのではなく、 男女が一緒に同じ方向——神の方向——を向くのだ、 という意味です。
誘惑との戦いは毎回やってきます。 一度誘惑に屈すると、その次にはほんの少し屈しやすくなってしまいます。 しかし、戦いは毎回新たにあるのです。 毎回の勝負の結果がどうなるかは、戦いが終るまでわかりません。 前回負けてしまったから今回も負けるだろう、と戦いの前に考えてはいけません。 戦いは、毎回、新たにあるのです。
自分が罪深い存在である、というのを認めること、 本当に弱い、本当に本当に、情けなくなるくらい弱い存在である、 というのを認めることはつらいことです。 でも、それは認めなくてはなりません。 そこが出発点だから、そこしか出発点はないからです。
クリスチャンとしての一貫性のなさ、気になりますよね。 御都合主義的な自分に腹が立ったり、相手に当たったりすることもありますね。 神の寛容と愛を思うと、恥ずかしくてたまらなくなります。 私もそうです。自分の弱さ、誘惑に対する耐性のなさ、 神さまと奥さんしか知らない私の弱さと醜さもたくさんあります。 でも、そこにこそ神さまが来てくださると思います。 その私の弱さのためにこそ、イエスさまが死んでくださったのだと思います。
私は何度も何度も罪を犯します。 そして何度も何度も悔い改めます。 あるときは誘惑への抵抗が成功をおさめます。 あるときは誘惑が私をこれ以上ないと思うほど私を屈服させることすらあります。 けれど、私は何度でも悔い改めます。 そして神さまに赦しを乞います。 悪魔の目的は誘惑に屈服させること、というよりも、 それを足がかりにして神さまから私たちを引き離すところにあると思うからです。 悪魔の策略にのってはいけない。
あなたの弱さ、また彼の弱さ、というものは、 いまは誘惑のつけこむ隙になっているのかもしれませんが、 その部分にこそ、神さまに立っていただくべき場所です。 そしてあなたの弱さ(と見える部分は)正しく神に用いられるとき かけがえのない部分になるのではないか、 と私は思っています。
苦しいけれども戦ってください。 彼という存在がいることはわたしはよいことだと感じます。 共犯者となり続けるのではなく、どうか互いに励ましあってください。 あきらめたり、開き直ったりせず、でも深刻にもならず、 明るく、さくっと、誘惑と戦ってください。 御言葉や祈りは大きな助けとなりますが、 ユーモアも実際的な助けの一つです。 あなた方は戦場を共有している戦友です。 勝利の報酬は大きい。
今ではもう祈れなくなったそうですけれど、 また祈ってみませんか。 整わなくっていいんです。 あなたの気持ちのぐちゃぐちゃのままそのまま、 愚痴、文句、言い訳、恨みつらみ、泣き言、 いいたいこと、ぜーんぶ神さまに伝えてください。 大丈夫、祈れますから。恐れずに、祈ってください。
あなたがた二人に対して直接メッセージを送る人は少ないかもしれませんが、 少なからぬ数のクリスチャンが、あなたがたと同じチャレンジを受け、 祈りつつ歩んでいます。
それに誰より、イエスさまが、あなたがたと共におられます!
[CR]第三弾がやってきた。 数が少なかったので、すぐに返信。
シンプルなWebLogツールの blosxom を見ていて、 こういうツールがあったらいいのに、 というちょっとしたアイディアが浮かんだのでメモ。
これって、要するに結城が毎日手でやっている作業なのだ。
あなたのご意見・感想をお送りください。 あなたの一言が大きなはげみとなりますので、どんなことでもどうぞ。