> 結城浩の日記 > 2008年9月 | 検索 |
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いつものように午前中は礼拝。 限りある人生、限りある時間の中で、なにを、なぜ、なすべきか。
教会でメッセージを聞く時間は、とても貴重だ。 教会に行くようになって二十年近くなるけれど、 振り返ってみると、その時間はかけがえのないものだったと思う。 いつもいつも熱心に聞いていたとはいえないし、 一つの教会に二十年いたわけでもない。 心がざわざわしてメッセージが上の空だったときもあるし、 休みがちだったときもあった。 居眠りばかりしていたときもある。 いろんなときがある。 でも、とにもかくにも、何とか教会に——キリストのからだなる教会に——つながってきた。 ありがたいことである。感謝、感謝だ。
ある女性の読者さんから、 『数学ガール/フェルマーの最終定理』への感想をいただきました。 ご本人の許可を得て、公開させていただきます。
ありがとうございます!
読者さんから
こんばんは。『フェルマーの最終定理』読み終わりました。 この本は丸の内オアゾの丸善で買いました。 「フェルマールの最終定理はどこですか?」 と聞くと店員さんがちょっと首をかしげましたが、丁寧に案内してくれました。 『フェルマーの最終定理』でしたね。(恥!) 《フェルマー》の名前もろくに知らない私がこの本を買うことを、 この店員さんがどう思うかちょっと気にしながらこの本を買いました。
P285でオイラーの公式と複素平面の図があらわれた時は、 意外な展開であると同時に、どういうわけか胸にストンと収まるものがありました。 ・・・不思議な納得感。
はじめて『数学ガール』を見たのは日本橋丸善でした。 薄い水色の表紙にピンクの帯、手に取ると大きさや重さが手にしっくりする感じでした。 開いてみると横に並んだ文字がきれいで、くらっときました。
手に負えない本ではないかと何回か売り場を行ったりきたりして買うのを迷っていました。
でも、でも、この夏は数学ガールにはまってしまいました。 わくわくする40日間でした。 家で読む時は、開いたままにして、次の日開いたページから続けて読みました。 お休みの日はいつでも読めるように、 『数学ガール』とノートとペンをかばんに入れて持ち歩きました。 PRONTOでドトールでエクセルシオールで読みました。 本棚に飾っておくより持ち歩いて読むのが合う本だなぁと思いました。
ちょっと判り辛いですよね。すみません。 ただ私の楽しい気持ちをお伝えしたかったのです。 これからもがんばってください。
結城から
すてきなお便りをありがとうございます。 とってもうれしいです!
数式だらけの本ですが、楽しんでいただけたようですね。 「家で読むときには開いたままにして」や「持ち歩いて読むのが合う」というところで、 思わずにこにこしてしまいました。 ご愛読くださり、ほんとうにうれしいです!
30代会社員の読者さんから、 『数学ガール/フェルマーの最終定理』への感想をいただきました。 ご本人の許可を得て、公開させていただきます。
ありがとうございます!
読者さんから
書店で「数学ガール フェルマーの最終定理」を手に取り、 思わず内容に引き込まれて買い、一気に読了してしまいました。 高校時代に直感的に感じていた「数学の美しさ」というものを、 よりはっきりした形で表現されており、感動しました。
また、自分が数学の本質をあまり理解していない部分も多く、気付かされるところも多々ありました。 特に「整数の構造は、素因数が示す。」 というミルカさんの言葉、 「素因数分解というのは、自然数を素因数の積に分解することだ。」 という僕の言葉にははっとさせられました。 自分は算数の基本である素因数分解の本質すらきちんと理解していなかったのだと。
私自身は文系に進んだため、受験勉強と大学の一般教養以来、数学から遠ざかっていましたが、 もう一度数学を勉強し直したいと思いました。他にもいろいろ書きたいことがありますが、 支離滅裂になりそうですので、この辺にしておきたいと思います。
とても素晴らしい本を書いていただき、ありがとうございました。 続編も期待しています。
結城から
素敵な応援メッセージをありがとうございます。 とてもうれしいです。(にっこり)
私はいつも、数学ガールに登場する彼らの対話に耳をすませ、 できるだけ忠実な形で書き留めたいなと思っています。 彼らの言葉に、私もときどき「はっ」とさせられます。 それは、彼らが真摯に数学に向かっているからでしょうか…。
数学って、何だかいいですよね。
お便りありがとうございました!
今日は日曜日。聖日だ。午前中は礼拝。 午後から電車でちょっとお出かけ。 何だかどんよりした天気。で、ときどきひどい土砂降り。 こういうどよんとした天気のときは、何だか眠くなる。
鞄に本を入れて出かける。乗り物の中で本を読む。考える。 気に入ったフレーズにペンで印を付けたり、ページの端を折ったり。 インスパイアされて思いついたことをページの余白に書き込んだり。
道を歩く。 道を歩きながら本は読めないので「思い出す」という仕事をする。 さっき、自分が読んでいた本の内容を思い出す。 キーワードは何だったか。自分が新しく知ったことは何か。 自分だったらその概念をどんな風に説明するか。例として何を使うか。 適切な比喩はあるか。その比喩の限界は何か(比喩には必ず限界がある)。 面白いことを思いついたら、立ち止まってメモを取る。
机に向かってノートパソコンを開く。 メモをファイルに反映させる。 音楽を聴く。 ほんとうにじっくり考えるときには音楽はないほうがいい(バッハは例外)。 でも、頭の検閲者を黙らせて、 ひらめく内容をどんどん書き進めるときには音楽があったほうがよい(かもしれない)。
参考書を読む。 参考書を閉じる。 自分がほんとうに、ほんとうにほんとうに理解しているかを確かめるために、 いま読んだ参考書のキーになる部分を書き出してみる。 書き出さなくても、頭の中で反復してみてもいい。 説明できなかったら、どこがわかっていないかを考えつつ、参考書を再度開く。
本を書く仕事は楽しい。とても、自由だ。
自由に本を書いている。
Javaのデザパタ本やスレッド本は楽しく、自由に書かせてもらった。 形式においても、内容においても「こういう風に説明したい!」という気持ちが全面に出ている。
暗号本や『プログラマの数学』は、プログラミング言語という枠も外して書かせてもらった。 分野においても「こういう題材を書きたい!」と自由にさせてもらったことになる。
数学ガールのシリーズ(Webのあちこちで《シリーズ》と表現されているので、つい結城もシリーズと言ってしまう。二冊しか出てないのに)では、 説明文という枠さえも越えて本を書かせてもらった。 「こういう本を書きたい!」ということだろうか。 「こういう本を読みたい!」ということかもしれない。
誤解を恐れないで書くと「おもしろいことは重要」なのだと思う。 「おもしろい」という言葉は、もちろん単におもしろおかしいという意味で使っているのではない。 本当に、ほんとうの意味で「おもしろい」ということだ。
これまで理解できなかったことが理解できた!というのはその典型だ。 いままでわからなかったことが、 この本を読んだら「なるほど、そういうことだったのか!」とわかった。これはうれしいですよね。 そういう本は「ほんとうにおもしろい本」だと思います。
結城が特に好きなのは「え、え?そうなの?いままで、自分の目の前にずっとあったことなのに、そんなこと気づかなかったよ。 気づいてもよかったのに。そんなおもしろさが、こんな当たり前に見えることの中に潜んでいたんだね!」 という気持ち(長いな)。 新しい事柄を学んだからおもしろいというのとは少しちがっていて、 新しい視点を学んだから《これまで見ていた風景が一変した》というようなのが好き。 見ていたモノクロームの映像が急にフルカラーになったような驚きが好き。
深い喜びを感じながら執筆ができることを神さまに感謝。
以下、関連しそうな過去日記。
「文章を書く」ことが好きな方は、以下のページにも興味があるかもしれません。
天気のせいか、一日中眠かった。
心を自由にして、考えごとをしたり、調べ物をしたり。 心をできるだけ広げて、関連するイメージを探す。 見つけたことをファイルにメモ(おそらくこのレベルのメモのうち、100分の1くらいが最終形態の書籍に登場するのだろうな、と想像しながら)。
そういえば、先日、すごく久しぶりに実家に帰った。 両親は孫(私の子)に、田舎でしかできないことをいろいろと体験させてくれた。 何だか気を遣わせてしまってすみません。ありがとうございました > 両親。
実家に送っていなかったので、 『数学ガール』と『数学ガール/フェルマーの最終定理』を持っていき、 この本がどういう本であるかを両親に解説した。
父は教師なので、数学ガールが単に数学の解説をしている本ではなく、 「教える/教えられる」ということがテーマになっている本だということを強調して話す。 すると、父は何だかうれしそうにページをめくってくれる。
母は和歌をたしなむので、
数学ガールを書くときにはたくさんの文章を「削る」ということを強調して話す。
「これ以上書くことがない、が完成ではなく、
これ以上削るところがない、が完成のしるしなんだよ、お母さん」と言うと、
母は、我が意を得たりという顔をしてくれる。
コミック版『数学ガール』の別刷りを見せると、
母は「こっちのほうがわかりやすそうね」と言う。
そうですか、そうですよね (^_^;
お父さん。お母さん。 私はたくさんのよいものを、お父さんとお母さんからもらっています。 ありがとうございます。
終了しました。多数のご参加をありがとうございました
久しぶりにそれほど忙しくない夜を迎えたので、 たまにはLingrでチャットをしようかな、と思います。 もしもお時間があれば、あなたもご参加しませんか?
今回のお題は、いつもと同じで「書くこと」に関するフリートークです。
といってもそんなに小難しい話ではなく、 楽しくおしゃべりしましょうという企画ですので、どうぞお気軽に。 もちろん、ROM(Observer)も大歓迎です。
お題:秋の夜長のLingrチャット: Free Talk on Writing 2008 日時:(終了しました)
Lingr重いのでIRCの裏会場もあります(IRCクライアントLimeChatがおすすめ)。
(終了しました)
ちなみに、今年のLingrチャットの過去ログは以下です。
午前中は礼拝。生きることの意味。死ぬことの意味。
午後から買い物。
大学の先生から、 『数学ガール』への感想をいただきました。 ご本人の許可を得て、公開させていただきます。
ありがとうございます!
読者さんから
『数学ガール』楽しく最後まで読めました。 10年以上数学に触れていなかった文系人には難しいところもありましたが、 テトラちゃんになったつもりで、自分でいろいろ調べながら、何とか最後まで旅を続けることができました。
私は語学の研究者なのですが、科学者の端くれとして、 目に見えるものの背後にあるものをとらえるという、 数学、そして科学の本質を再認識できた気がします。
とても大事なことを教えてもらったような気がします。 ありがとうございました。 フェルマーの最終定理も購入して読みたいと思います。 そして、授業の中で学生にも勧めたいと思います。
今後の著作にも期待しています。
結城から
ご愛読くださり、ありがとうございます。 また、学生さんへのご紹介もありがとうございます。
私自身も、数学ガールたちや「僕」からたくさんのことを教わっています。 数学に限らず「学ぶこと」は、本当に深い喜びに結びついていますね…。
メッセージをありがとうございました!
本を書いています。新しい本を書くのはいつも楽しいです。 いまは各章の章立てを考えつつ、章ごとのファイルを作ったところです。 まずはその章で自分が書きたいことをひたすら書き出している段階です。 このときに助けになるのは「頭」よりも「手」ですね。 とりあえず、頭で考える前に、手に命じてどんどん書かせるのです。 その章に関連することで思いつくことをすべて手に書かせる。 手は書くけれど編集しない。そこがいい。 手は勝手に動き、私の心に浮かぶことをすべてファイルに落としてくれる。 頭は、ファイルに落ちてから使えばいい。
女性の読者さんから、 『数学ガール』への感想をいただきました。 ご本人の許可を得て、公開させていただきます。
ありがとうございます!
読者さんから
こんばんは。
『数学ガール』読みました! 私は結城さんの本は難しいと思い敬遠していました。 ですが、この本はどういうわけか読めちゃいました。 正直、テトラちゃんではありませんが、理解できない部分もたくさんありました。 それでもなんとか最後まで読んだ時、達成感がどっと押し寄せてきました。 そのことでも感動はひとしおです。
読んですぐ理解できそうもないので、ノートにメモをとりながら読みました。 というより、ほとんど数式丸写しですよ。無印のノートを一冊使いました。
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うまく言えないのですが、この本を読んでから、「わからない」ということが怖くなくなりました。 未知の世界へ挑戦する勇気をもらった気がします。 わくわくするってこういうことなのですね。 (それともこれが理数系の萌なんでしょうか?)
私がこのムズカシイ本を最後まで読もうと決心したのは『ωのワルツ』(44ページ〜45ページにかけて)で、正方形から円にミルカさんが指摘するシーンです。 ここを読んだ瞬間、なんていうか自分には想像しきれない、領域が目の前に開けたようで、もうどきどきしちゃいました。
こんな根拠のない、それこそ『証明できない』感想文でスミマセン。
つたない文を最後まで読んで頂いてありがとうございました。 これからもがんばってください。
結城から
理解できない部分がたくさんあったのに、最後まで読んだというのはすごいですね(しかもノート一冊使って!)。 また、「わからない」がこわくなくなった、というのは素晴らしいことだと思います。 チャレンジ!ですね。
素敵な感想をありがとうございました。
あなたのメッセージで、私の心もあったかくなりました! (^_^)
というわけで、本日は謎めき系の企画の打ち合わせでした。
ええと。
もしも、順調に推移しましたら、 来年には驚くべき企画をアナウンスできるかもしれません。 ので、お楽しみに。
いずれにしましても、すべてのすべてに感謝です。 驚くことや、自分の至らなさを感じることはしょっちゅうなのですけれど、 神さまのみわざがいつも働いてくださることに感謝です。 私の力ではなく、私の思いではなく、 主のみこころがいつもなされますように、と祈ります。
いつも、初心を忘れるな。初めの愛から離れるな。 いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝せよ。
ここ数ヶ月やっていた仕事の原稿を送付。 編集部から許可が出たら、またアナウンスします。
Web書店アマゾンで、 『数学ガール/フェルマーの最終定理』が「なか見!検索」できるようになりましたのでご案内します。
これで、すべての詳細目次が読めるようになりました。 また、第一章冒頭にある、ユーリと「僕」とのやりとりも少し読めます。 「僕」のお母さんもちらりと登場しますね。 どうぞご利用ください。
先ほど編集部から連絡がありまして、 先月の頭に増刷した 『数学ガール/フェルマーの最終定理』がさらに増刷するそうです。 発売日が7月30日でしたから、一ヶ月とちょっとで第3刷になりました。 読者のみなさんをはじめ、関係者のみなさんの応援に深く感謝します。 ありがとうございます!
神さま、豊かな広がりをありがとうございます。 どうか、本書を必要としている読者さんに、この本が届けられ、夢や喜びが広がっていきますように。 イエスさまのお名前を通してお祈りします。
淡々と日々の仕事。今日は、参考書を読んだり、問題を作成したり。
高校二年生の読者さんから、 『数学ガール/フェルマーの最終定理』の感想をいただきました。 ご本人の許可を得て、公開させていただきます。
ありがとうございます!
読者さんからの感想
こんにちは。『数学ガール フェルマーの最終定理』読みました。 今回も前回に引き続き、すごく面白かったし、わくわくしました。
実は、ちょうど一年前、僕は『数学ガール』の感想を送らせていただきました。 あの時は、前から好きだった数学の広さや、楽しさなどを教わりました。 確か、「数学は美人です w」って送った気がします。
あれから一年、今も僕は数学が好きで、毎日、数学しています。 一年間、ミルカさんの数式を理解したくて、いっぱい勉強しました。 巻末に紹介されていた数学の本も読みました。 だけどやっぱり、全然、ミルカさんの数式を完全には理解できませんでした。 でも、それが嬉しいんです。だって、まだまだ数学することがあるなぁって、感じられるからです♪
今回の『数学ガール』も前回同様、僕にはわからないところがたくさんあって、また嬉しくなってしまいました。 今回の『数学ガール』では整数の奥深さを身にしみて感じました。 どうして数学ってこんな綺麗なんだろうとも改めて思いました。 僕の数学は、そのほとんどが『数学ガール』から学びました。本当に感謝しています。 ありがとうございます。
来年は僕は受験生になります。 数学科を目指しています。もっと数学を知りたいし、 ミルカさんの数式を理解したいから、そしてやっぱり数学が好きだからです♪
長くなりました。 素敵な数学を見せてくれてありがとうございました。
結城から
「いっぱい勉強しました」っていうのは素晴らしいですね。 若いうちに、思いっきり勉強してください! それにも増して、理解できなくてもめげずに「まだまだ数学することがある」って 前向きに考えるのも素敵だと思います。
ぜひたくさん勉強して、数学の世界を学び、新たな宇宙を切り開き、 そしてその楽しさ、美しさを多くの人に伝えてくださいね。
ご感想をありがとうございました!
あなたのご意見・感想をお送りください。 あなたの一言が大きなはげみとなりますので、どんなことでもどうぞ。