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『キリスト教の精髄』ガイド

第一部 宇宙の意味を解明する鍵としての正と不正


1. 人間性の法則

けんかや やり合いをするとき、 人間は、絶対的に正しい基準というものに訴える傾向がある、とC. S. ルイスは書いています。 ルイスはこの基準のことを「自然の法則」または「道徳的法則」と呼んでいます。

  1. 自分を振り返ってみて、 他人と議論するとき、絶対的な基準に訴えたことがありますか。
  2. ルイスはまた、 この「自然の法則」をほんとうに守っている人は一人もいないが、 もしも、いや自分は守っているという人がいるなら、 その人は例外であって、本書の残りの部分を読まない方がよい、 と言っています。 あなたはこの例外になると思いますか。

2.いくつかの反論

ルイスは、読者の手紙の中から、彼の「自然の法則」の理論に対する二つの反論を引用しています。

  1. 「その法則は本能から来たものだ」という反論。 どうしてルイスは、道徳的法則が単なる人間の本能から来たものではない、 と考えているのですか。
  2. 「その法則は社会的なしきたりにすぎない」という反論。 道徳的法則は私たちの受けた養育や教育の問題である、 という考えをルイスはそうではないとしています。 その理由は何ですか。

3.法則の実在性

ルイスは、 道徳的法則(自然の法則)は生きており、 人間の生活の中に働きかけてくるものであると結論づけています。

  1. ルイスによれば、 「人々は社会を益するため正しい行為をしなければならない」というのは 冗長な主張だということです。 なぜですか。
  2. ルイスが述べているような「自然の法則」は実在するものであって、 人間がでっちあげたものではない、とあなたは思いますか。
  3. その法則はどんな風に私たちに押し迫ってきますか。

4.法則の背後にあるもの

  1. ルイスによれば、 宇宙の創造の背後にある精神を見出すために科学を使うことはできない、 ということです。 なぜですか。
  2. 人間だけにはあてはまるが、 科学者の研究対象となるどんなものにもあてはまらない「一つのこと」とは何ですか。

5.不安を感ずるのは当然

ルイスは、宗教というものを、 〔訳注: 単なる古くさい話ではなく 〕 道徳的法則によって負った罪からの救いの道として考えなおそうとする 三つの根拠をあげています。

  1. ルイスは宗教についてもう一度考えなおす根拠として、 人類はいまもまだ間違った道を歩いているということをあげています。 あなたは、人類がまだ間違った道を歩いているとおもいますか。
  2. ルイスは、もしも神が道徳的法則のごときものならば、 彼は決して甘くもなければ同情的でもない、と述べています。 どうしてこれが衝撃的なことなのでしょうか。 また、道徳的法則のほかに神の存在を指し示すものは何かありますか。
  3. ルイスによれば、 あることに気づくまではキリスト教はあなたにとって意味をなさない、 ということです。 その「あること」とは何ですか。

これで第一部は終わりです。 ぜひあなたの感想やご意見をお聞かせください。

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All headings and quotes taken from Mere Christianity by C. S. Lewis are used without permission. Use at your own risk. All other material was written by Bob Wooldridge in 1996, translated by Hiroshi Yuki in 1999. The study guide questions may be freely used in order to give glory to God and to spread the knowledge of the Christian message.
見出しと引用はC.S.ルイスの『キリスト教の精髄』から許可を得ずに利用しています。 各人の責任で利用ください。 その他はすべてBob Wooldridgeによって1996年に書かれ、 結城浩によって1999年に翻訳されました。 このガイドの設問は神に栄光をお返しし、 クリスチャンのメッセージを広く告げ知らせる目的であれば、 自由に利用して構いません。