ホーム > 文章教室 > 第2回 解答編 | 検索 | 更新情報 |
第2回 問題編 |
|
こんにちは、結城です。 今回もたくさんの投稿をいただきました。ありがとうございます。 練習や自由課題への投稿だけではなく、 結城へのはげましのメッセージも数多くありました。 とてもうれしいです。感謝します。
たくさんの投稿をいただきますので、 すべてを掲載することはできません。ごめんなさい。 問題編が公開された後、 早めに投稿していただいたほうが掲載の可能性は高いです。
以下で私は、 みなさんの文章を読んで感じたことを、率直に書いていこうと思います。 そのため、 もしかしたら気分を害する表現もあるかもしれません。 どうかご了承ください。
では、さっそく読んでいきましょう。
次の文章を自由に書き換えて、 より読みやすく、より分かりやすい文章にしてください。
メールは文書が全てなので御座いまして、 メイルで何かを依頼する場合には、 其れの内容を文で明晰に書く事が貴重なので有るから 「其れ以上詳細に記帳せずとも、受信者は必ずや内容を考察してくれるに違いない」 と判断して居ると 予定外の娯解を産む事が有るから注意する事が必修。
メールは文章がすべてです。 メールで何かを人に依頼する場合には、 依頼の内容を文章で明確に書くことが重要です。 「これ以上くわしく書かなくても、読む人は分かってくれるに違いない」 などと思っていると、 思わぬ誤解をされることがあります。 注意しましょう。
メールは文書だけのものなので、 メールで何かを依頼する場合、 それの内容を、文で明せきに書く事が重要なので、 「それ以上詳細に書かないでも、受信者は必ずや内容を分かってくれるに違いない」 と判断していると、 予想外の誤解を生むことがあるから注意する事が必要だ。
メールは文書が全てです。 メールで何かを依頼する場合には、明晰な文章で書く事が大切です。 「これ以上詳細に書かなくても、受信者は必ずや内容を考察してくれるに違いない」 と判断してしまうと、予定外の誤解を生む場合があるので注意が必要です。
メールでは文章でしか自分の意図を伝えられない。 だからメールで頼み事をするときは、その内容をわかりやすい言葉で書くのが重要だ。 「これだけ書けば分かってもらえるだろう」とたかをくくってしまうと、 思わぬ誤解を招くことがあるので、気を付けなくてはいけない。
メールは文章である。 メールで何かを依頼するときは、文章を明確に書くことが重要である。 誤解を生むような表現はさけなければならない。 例えば、意味が複数とれる表現をすると、おもわぬ誤解を生むことがあるので注意が必要だ。
電子メールは、そこに書かれた文章こそがすべてである。 メールで人に頼み事をする場合、「いちいちこんなことまで 書かなくてもわかるだろう」などとタカをくくっていると、 思わぬ誤解のもととなるから、 用件を漏れなく書き表すよう注意を払う必要がある。
メールは文章だけでその内容を伝えなければならない。 メールを使って何かを依頼する場合には、明確に書くことが重要である。 従って、「これ以上詳しく記述しなくても、読み手は必ず内容を理解してくれるに違いない」 などと考えていると、予想外の誤解を招く事があるので注意する必要がある。
メールは文書がすべてです。 メールで何かを依頼する場合は、 その内容をわかりやすい文章で書くことが重要です。 「それ以上、詳細に書かなくても、 受信者はかならず内容を察知してくれるに違いない」と判断すると、 予想外の誤解が生じる場合がありますから、 注意する必要があります。
メールは、書いてある文章がすべてです。 何かを依頼するときは、内容を細かく説明しましょう。 「これ以上書かなくてもわかるだろう」などと判断していると、 予想外の誤解が生じることがあります。
匿名さんからのコメント
なるほど、確かにそうですね。
なぜ「判断している」と書いたかを考えてみます。
(考え中)
わたしは、読者が「いま」メールを書いていると想定していたようです。
メーラーを開いてキーボードに向かっている読者に
「説明しましょう」「〜と判断していると〜」と語っている、ということです。
で、わたしは、「判断」とは、わずかながら時間の幅を持った行為で、かつ メールを書いているあいだ継続して何度も行われる、と思っているようです。
・わたしのイメージ(判断時間:長) 文章の視点 -------------------------------------------------------→ 読者の動作 メールを書く(用件を書く|---判断---|用件を書く|---判断---) ・結城さんのイメージ(判断時間:短) 文章の視点 ↓もしくは ↓ 読者の動作 メールを書く(用件を書く|用件を書く|用件を書く) 判断
投稿文中に「これ以上書かなくても」とあるので、この場合の「判断」は、 結城さんのイメージのように、最後に一度だけですね。 ご指摘に感謝します。
さらに、コメントにあるように、そもそも「判断」は重すぎましたね。 元の文章の重い言い回しにつられたのかもしれません。
メールで何かを依頼するときには、依頼内容をわかりやすく、 はっきりと書くこと。 自分が「これくらい書けばわかってもらえる」と思っていても、 相手によっては誤解されることもある。
おもいっきり縮めて一文にしてしまうと、A..のようになります。 「明晰」なんて言葉、難しいので『明確』にしちゃいました、 意味ほとんど同じだろう、多分。
A. 『手紙は文章が全てなので、明確に書け。』
理由も加えると
B. 『手紙は文章が全てなので、予定外の誤解を生まないように、明確に書け。』
問題意図の『単語を重視』だけ行ってみると、C.に
C. 手紙は文章が全てです。 文章で何かを依頼する場合には、その内容を文章できちんと書くことが大切です。 「これ以上詳細に書かなくても、手紙を読んだ人は内容を読み取ってくれるだろう」 と 判断していると予定外の誤解を生みかねないので注意するべきです。
注釈: 書かれた文章の内容が、電子メールに特化していないと読み取れたので、 「メール」という単語は、「手紙」に置きかえた。
メールは文書なので、それを使用して何かを依頼する場合は、 受信者が文書の内容を正確に把握できるかを常に意識して書く 必要があります。 文書の内容を受信者がうまく考察してくれ るに違いないなどと思って書くと予定外の誤解を産むことにな るので気をつけた方が良いでしょう。
メールで何かを依頼する場合には、思わぬ誤解を避けるためにも、 その依頼内容を分かりやすく書かねばならない。
メールは文章が全てなのだ。
メールは文書が命です。 メールで何かを依頼するときには、その内容を 解りやすく書く事が大切になります。 文章の記述があいまいだと、相手に予想外の娯解を 持たれることがあります。注意しましょう。
ほうずきさんから
蛇足ですが"曖昧"は自分では書けない漢字なので"あいまい" としました。漢字のほうが読みやすいのでしょうか。
ワープロやコンピュータは書けない漢字もパパッと 出てくるので便利ですが、実力以上の漢字は変換しないように 自制しています。(漢字を書けるようにすればいいいわけですが。・・)
文字そのものも手書きだと、とても見せられない汚い字を書くので コンピュータがないと文章教室への参加など考えられません。
いい時代に生まれ合わせたと思います。感謝。
文章が全てのメールで何かを依頼するときは 内容をわかりやすく書くことが大切です。 それでもこれだけ丁寧に書いたのだから こちらの言いたいことを必ず理解してくれるだろうと 思っているととんでもない誤解があったりするので 注意しましょう。
ステップ1:単語の選択のみ修正
電子メールは文章がすべてですので、電子メールで何かを依頼する場合には、 その内容を文章で明晰に書くことが必要ですから、「それ以上は詳しく書かず とも、受信者はきっと内容を想像してくれるに違いない」と判断していると 予想外の誤解を産むことがありますので、注意することが必要です。
ステップ2:文章の構造も修正
電子メールでは、文章ですべてを伝えなければなりません。
例えば、電子メールで何かを依頼する場合には、相手が依頼の内容を文章だけ 理解できるように書く必要があります。詳しく書かなくても、 相手が推測してくれると思っていると、思わぬ誤解が生じることがありますので注意しましょう。
メールは文章が全てです。メールで何かを依頼する場合、内容を文章で明確に書くことが重要です。 「これ以上詳しく記述しなくても、受信者は内容を察知してくれるに違いない。」と判断していると、 予想外の誤解を生むことがありますから、注意しなければなりません。
手紙とは異なり、電子メールは気軽な話し言葉に近い表現をすることが多い。 このことは利点でもあるのだが、事務的連絡の際には思わぬ誤解を生ずるもととなりかねない。 画像や書類を添付しなければ、電子メールは文字しか送ることができない伝達手段でもあるので、 メールを用いて品物の注文や会議の通知などをする場合には、正式な文書作成と同様、 項目を整理して過不足なく書くよう、心構えする必要がある。
メールで誤解を生じさせないためには、書く内容に注意が必要です。 特に読み手に何かを依頼する場合、読み手の読解力に影響されないよう 依頼事項の全てを書くべきです。
メールでは文書が全てなので、何かを依頼する時、その内容を明確な文章で書くことが大切なのです。 「これ以上詳しく書かなくても、受信者はきっと内容を理解してくれるに違いない。」 と推断していると、予想外の誤解を生むことがあります。 だから細かな注意が必要です。
メールは文章がすべてです。ですから、メールで何かを依頼する場合には、 内容をはっきりと書き表すことが重要です。「これ以上は詳しく書かなくても、 受信者が推察してくれるに違いない」などと高をくくっていると、 予想外の誤解が生まれることにもなります。注意しましょう。
きはらさんから
「内容を明示的に、細部を省略せずに、多少くどいぐらいに、書くべし」 というのを簡明に表現したかったのですが、これだという単語を思いつか なかったので、「はっきりと書き表す」という表現にしました。ちょっと 弱いかな。後続の文が意味を補足してくれているので、まあ、いいか、 というところです。
メールを書く時は、できる限り詳しく書くべきである。 確かに、手短に簡潔に書くのは重要である。しかし、 「そんなに詳しく書かなくても、相手は察してくれるだろう。」 という思い込みは、とんだ誤解を招くことがある。 メールには文章以外の情報がない。判断の材料は文章のみなのだ。
メールは文章が全てなので、 メールで何かを依頼する場合は明確な文章を書く必要があります。 「これ以上詳しく書かなくても、相手はわかってくれるかな」と 思っていると、予想外の誤解を生むことがあるので注意しなければいけません。
メールは文書が全てです。 ですからメールで何か依頼をする時、内容を明確にしておくことが重要なのに、 「これ以上詳細に書かなくても、受信者は必ずわかってくれるはずだ」 と思っていると、予想外の誤解を招くことがあります。 十分に注意しましょう。
メールは文章だけで、相手に判断をされます。 そのため、用件を依頼する場合は特に注意が必要です。 相手が用件を理解しやすいように、詳しく、明らかに書き、 思わぬ誤解をまねかないようにしましょう。
メールは文章だけで、相手に内容を伝えなければならない。 直接会って話す場合は、顔の表情や声のトーンなどで 暗黙のうちに伝わるものがある。しかし、メールの場合は そういったものがなく、文章だけが伝達手段である。 そのため、メールで何かを依頼する場合は、「これぐらいで だいたいわかるだろう」と勝手な判断をしない方がよい。 誤解を生みそうな場合は、電話などで十分確認する必要がある。
メールを用いて依頼を行う場合,依頼相手に 誤解されることのない文章を書くことが重要となる. 何故ならば,文章のみを用いて依頼内容を伝える必要があるからだ. 特に,文章で与えられる情報に過不足がある場合, 依頼相手に誤解される恐れがあるので注意が必要である.
おおさわさんから
今回の問題では,用語の統一,及び,曖昧な言葉の排除, の2つを目標にして解答してみました. 完璧にはほど遠い解答ですが,今のところこれが限界です.
統一されてない用語は,読む立場からは非常に気になるのですが, 書く立場からは案外気づかないものですね.結構苦労しました. 実際に,もっと長い文章を書く場合は, 「使っても良い用語リスト」なんかを作りつつ文章を書き進める 必要があるかもしれませんね.
曖昧な言葉の排除も,難しい問題でした. 「曖昧な表現」とはどのような表現か,という所がいきなり 難しいですね. 今のところ,カンで曖昧な表現を見つけることしかやっていません. もっと機械的に見つけることのできる方法,ないですかねー.
電子メールで頼みごとをする場合、依頼内容を明確に示すことが重要である。 なぜなら、文章によるコミュニケーションは「くどくど説明しなくても、 きっと相手は分かってくれているだろう」と、自分にとってはあたりまえの ことがらを省略してしまいがちだからだ。そのため、依頼内容を明確に示すことを 怠ると、予想もしない誤解を生んでしまうことがある。
メールは文書ですべてをあらわしますから、 メールで何かを依頼する場合には、 文の内容を明確に書くことが大切です。 「これ以上、詳しく書かなくても相手は内容を くみとってくれるに違いない。」などど 考えているとおもってもみない誤解が 生じることがありますから、注意しましょう。
メールで何かをお願いする時に気をつけなければならないことは、 文章を曖昧にせず、明解に書くということです。 これくらい書いておけば相手はわかってくれるだろう、 なんて言葉足らずのまま送ってはいけません。 思ってもいなかったような誤解をされてしまうことがあります。 メールは文章がすべてです。気をつけましょう。
メールは文章が全てである。よって、メールで何かを依頼する場合には、 依頼の内容を明確に書く事が重要である。注意が必要なのは、 「これ以上、詳細に記述しなくても、受信者は内容を理解してくれるだろう。」 といった油断であり、予想外の娯解が生じる事もある。
メールでは、文字だけで相手に意思を伝達しなければなりません。 誰かに頼みごとをする場合、自分で勝手に「これくらいの説明で十分だろう」と判断してしまうのは危険です。 受信者が、必ずしもあなたが望むような読み方をするとは限らないからです。
メールは文書が全てなので、メールで何かを依頼する場合は、その内容を文章で明晰に書くことが重要です。 「これ以上詳細に書かなくても、受信者は内容を察してくれるに違いない」と 判断すると、予想外の誤解を生む危険があるので、注意しなければなりません。
メールで相手に何かを伝えようとする時、気をつけなければならない事がある。 それは何かというと、メールは文章が全てであり、 伝えたい内容を文章だけで的確に書き表さなければならない、という事だ。 「細かく書かなくてもなんとなくわかってもらえるだろう」などと都合よく考えていると、 うまく伝わらないばかりか間違った解釈をされる場合もあるのだ。
メールの決め手は文章にある。メールを手段として依頼するときには、 内容を明確に示した文章が望まれる。危険なことは、 「内容が詳細でなくても相手は察してくれるに違いない」と送信者が勝手に判断することである。 予想外の誤解を生まないためにも、メールを送信する前に十分吟味することが必要である。
少なくとも一組の「同音異義語」 (読み方は同じで意味が異なる単語) を含んでいる文章を書いてください。 長さ・内容・形式は自由です。
(A) 試しに彼女に会ってみたけれど、やっぱり話は合わなかった。
(B) 「蚊が刺したのは、ここなの」と彼女はうなじを指した。
大正生まれの人を対象にしている。
つのださんはいつ旅立つのだろう。
こんにちは。文章教室の第1回の解答編を読みました。皆さん、本当に文章が上手ですね。 また、結城さんが投稿者の質問に丁寧に回答されていることも素晴らしいと思いました。 解答編を読むだけでも文章能力の向上が図れると思いました。 私も皆さんに少しでも追い付けるように恒常的に努力していこうと思います。 ところで、少し残っていたワインのボトルを朝までに空けてしまおうと、 計りながら飲んでいましたが、夜が明けてきたので断念します。 もう眠くなってきたので、これにて失礼します。おやすみなさい。
結城さんの勧めにしたがい、お薦めの参考書を読みながら、文章教室のための文章を書き進めた。
山羊さんから
第一回の自由課題へのコメント「読者が目をとめるべきところに漢字を配してい ることも興味深いです」は、私にとっても興味深かったです。
漢字とひらがなの選択基準をはっきりと意識化しているわけではないので、論理 的に説明はできないのですが、あの文章のなかでは「たいてい」「はじめて」 「いちばん」「おもしろく」はひらがなの方が座りよく感じられます。
このような説明するのが難しいことを、深く追求することなく「センス」と呼んで しまっているわけですが、なんとか言語化して単純な原理原則として示すことも 「文章教室」の課題の一つかもしれません。
「ご飯、お代わりする?」
「もういっぱい」
→ 「もう一杯ください」or「もうお腹いっぱいです」。 同音異義語ではないですね(笑)。
紳士な人がいましたが、その人からは真摯の声は聞こえませんでした。
短歌の世界では、限られた字数の中で作り手の心を可能な限り表現し、また技巧や 遊び心を表すために同音異義語が巧みに取り入れられてきた。「まつ」という音に「待つ」と「松」を、「ふみ」とい う音に「踏み」と「文」を掛け合わせることで、 作り手はわずか31音の世界を縦横に飛び回り、受けての想像力を無限に刺激するこ とができた。
現在ではこのような掛詞を駆使し、読者の想像力を引き出す方法はあまり見かけな い。現代詩ではことばの指し示す意味 をはるかに超えて、ことばの音によって作り上げられるイメージによって独特の世界 を受け手に喚起させることが多い。ここ では掛詞が通用するためのことばの意味、つまり指示機能は失われ、ことばは自由に 音の世界を彷徨っている。
同音異義語が意識される場所は、もはや毎日の他愛もない会話の中にしかないのか もしれない。
「昨日かきを食べたんだけど…」
「え?どっちの?」
「甘い方だよ」
しかし、そこに吹く一群の爽やかなほっとする風はまだ確かにある。
夏桐周さんから
同音異義語と聞いて思いつくのは「橋・端」など小学校の教科書の後ろに載っていた幾つかでしたが、 何を題材に取るかでかなり悩み、思いっきり取り上げる同音異義語から焦点をずらすことにしました。
一生"懸命"に全国の"県名"を調べた"賢明"な子。
この情報を"配信"するのは、世の中のためには良いことだが、 会社からみれば、"背信"行為とされるだろう。
よく晴れたある秋の日、電車に乗ってふらりと出かけてみた。 席に空きがあったのでそこに座りぼんやりと外を眺めていると陽に照らされた瓦が光っていた。 小さな駅で降りて飴を買い人家の垣に蜘蛛がいるのを横目に見ながら歩いていたら柿の実が赤く色づいていた。 川に出たので河原に腰を下ろして飴を口に放り込んでちょっとした飢えを満たして上を見上げたら雲が流れていった。 きのう友人の訛をつい笑ってしまったことが鉛のように心の底に沈んでいる。 突然雨が降ってきたのでそこを立ち上がり駅に向かった。 何時か謝ろう、来月五日は彼女の誕生日だから花を買って訪ねてみよう。 早足になりながら考えていた。
真っ暗な夜空だった。その真っ暗な夜の大空を、突き刺すようにそびえ立つ尖塔は月の光を反射して 不気味に輝いていた。僕は少し怖くなった。「あれ見ろよ。不気味だなー」とタカシに話し掛けた。「そう? もうちょっと速く歩こ。おいてかれちゃうよ。」そう言うとタカシは少し速く歩きだした。先頭の マモルはどんどん先に行ってしまって僕とは10メートル位離れてる。僕は走り出した。タカシを追い抜き、先頭の マモルを銭湯の前で抜き去り、僕は先頭になった。僕は走るのをやめることが出来なかった。振り返りも しなかった。だんだん疲れて来た。僕は走るのをやめた。悪い予感がした。見慣れない景色だった。 今まで1度も見たことのない街に来てしまったのかも知れない。その時、僕はおかしな音を聞いた。大量の蹄(ヒヅメ) が地面を踏みならす音だ。信じられない。あり得ない音だ。僕は後ろを振り返った。そして恐ろしいものを見た。 大量の真っ黒な牛がこっちを睨んでいた。暗闇にギラギラと光る大量の目。千頭はいるだろう。どの牛にも大きな 角があった。全ての角はよく研いだ剪刀のように鋭く、月光を反射して不気味に輝いていた。どうすればいいか 分からなかった。振り返って走りだしたら一気に背中を貫かれるような気がして、振り返ることが出来ない。 一瞬迷ったが戦うしかなかった。僕は足元に落ちていた棒キレを牛達から目をそらさずに拾い、戦闘体勢を 整えた。来るなら来い!でも、これは勝てそうにないなぁ〜。
カツレツ
食道に違和感を覚えたのは、昨夕、ある食堂でカツレツを一口飲み込んだときである。 その違和感は、今朝、味噌汁の油揚げを飲み込んだ際も持続していた。 食道癌ではないかと深刻な気分になり、すぐに医者に行った。 今朝は何か食べたのかと聞かれたので、「味噌汁を一口飲んだだけだ」 と申告したら、 じゃ、覗いてみよう、ということになり、食道ファイバースコープとかいう機械で覗かれた。
「ははあ、油揚げがつかえている」 などと言いながら、 医師がブラシのついた針金みたいなのをファイバーの穴から突っ込むのが見えた。 「ほほう、油揚げの向こうにカツレツも詰まっている」 となぜだか医者は嬉しそうだった。 しばらくブラシでゴシゴシやっている風であったが、急に違和感がとれた。 食道に詰まっていたカツレツと油揚げが胃袋へ押し込まれたようだ。 「君はカツレツを横にしたまま飲み込んだろう」 と聞かれた。 口をあけたまま 「ほうれす」(そうですと言ったつもり) と答えたら 「大丈夫、食道の壁は何ともない」 と告げられて、 「ついでに胃袋も見ておきたいが、カツレツと油揚げが視界をさまたげるので次の機会にしよう」と言われた。 この医者は斯界の権威らしいので、逆らわないことにしようと思った。
会計で勘定を払いながら、<カツレツは横にしては飲まないように> と、 昨日の食堂の壁に張り紙がしてあったのを思い出した。
YABUさんから
昔風の書き方になっていますが、昔の文章は、主語がいれかわったり 視点がぶれたりしていることがありますが、私はそういう雰囲気も嫌いじゃありません。
YABUさんから
私も、主語がいれかわったり視点がぶれたりしている文書は、ダメだと思いますが、 昔のそういう文章の雰囲気は嫌いじゃないというだけのお話です。 自分では、きちんと書こうと思ってますが。 見直さないとぶれてることがあります。 反省ですね。
このソースプログラムの論理自信は優れているが、あなた自信が品質に自信を持つ根拠とはならない。
以下、自由課題の自己添削です。
このソースプログラムの論理自体は優れているが、あなた自身が品質に自信を持つ根拠とはならない。
とにかく日本語には同音異義語が多い。 コンピューター時代になって、漢字の使い方がますます怪しくなってきた。 いちいち辞書を引くのはめんどくさい。 嬉しいことに最新のIMEには間違いやすい漢字の意味を掲載してくれるようになった。
例えば
老後保障制度の改善が期待される。
誰が身分保証人ですか。
最初の「保障」は、「権利、自由を守る」という意味で、 二番目の「保証」は「請合う。」という意味である。
人事異動があって、私の上司が古巣の部へ戻ることになった。 彼が入社してから長く在籍した部署で、仕事の基本はここで学ん だそうだ。今、その部はなんとなくたるんだ雰囲気が漂っていて、 彼はあれやこれやと改革案を練りながら、去っていった。
何週間か経ち、廊下で彼と会った。開口一番に 「いやあ。まいったよ。すげえよ、ありゃあ」 とあきれ顔だ。
古くからいる部員たちが自分の仕事を奪われまいと必死だという。 その人たちの仕事なんて、彼が片手で終わらせることができる程 度のことらしい。彼が来たおかげで仕事がなくなってしまう部員 も出てくることだろう。
それを恐れて、彼が口出しできないような体制をつくりあげよう としているらしい。
「頭の悪い人たちですね。だから、あんなにたるんでしまう。」
「そうだよなあ。閑職だよ。窓際族っていうのは、このことだな。」
「そいつらを、どう切り崩すか、ですね。」
と、彼のやる気に火をつけようとしてみたけれど、思ったよりも 落ち込みが深い。ちょっと小休止と思い、洒落た青いネクタイを していたので、素敵ですね、とほめてみた。
「おう、今のオレだよ。寒色できめてみたよ。いいだろ?これ。」
と笑う。
まだまだ問題解決、そして彼の復活には時間がかかりそうだ。
10月にしては、異常に暑く寝苦しい日が続いていた。 誰もが「おかしい」と感じてはいたが、何が「おかしい」かに気付く人はいなかった。 人々は空を見上げた。太陽の軌道が変化したのか、 それとも太陽自体に異変が起きたのか。しかし、 あらゆる観測結果は「いつもと変わらぬ太陽」を示していた。 時折見受けられるデータの散らばりも、 誤差以上のものではなかった。「気象も年々おかしくなるなあ」そんな言葉と共に、 人々はこの事態を心の奥へと押しやった。 しかしその頃、地球の奥深くでは明らかな異変が起きていた。 熱くたぎったマントル層が、地表のあらゆる隙間をめがけてゆっくりと進みはじめていたのだ。 後に恐怖の伝説となる「火の神無月」が始まろうとしていた。
・木造の橋の端が腐っており危険なので、来月から補修工事を行うことになった。
・私の祖母は健康のために、豆のエキスが入ったタブレットをまめに服用している。
・両方の手を使ってそのような手に出るとは卑怯だ。
・入学後、当校への登校は、最寄り駅からスクールバスに乗車していたくことになります。
結城です。おつかれさまです。
単語の使い方が不自然だと、読者は一瞬「あれれ、おかしいな」と思います。 主語と述語の対応がおかしいときも、読者はちょっと首をかしげます。 そういう「つまづき」が多くなればなるほど、 読者はその文章の書き手に対する信頼を失っていきます。 やがて、読者は読みながら「また何か間違っているんじゃないか」 「この書き手はちゃんと考えて書いているのか」と疑心暗鬼になってしまいます。
そのような事態を避けるためには、 自分が書いた文章を、読者の気持ちになって、ていねいに読み返すことが大切ですね。 あっという間に文章がうまくなる秘訣や秘伝、魔法の呪文なんて、どこにもありません。 自分で書いた文章を、読者の気持ちになって、ていねいに読み返すことが大切なのです。
今回読んでいて気になった点は以下の通り。
第2回目の解答編は、いかがでしたか。 投稿した人も、そうでない人も、 ぜひ、感想を 「文章教室」へのフィードバックからお送りください。
あ、それから、事務連絡が2つあります。
それでは、また。 Enjoy Writing!
結城: 読書感想文は私も苦手でした。 というか、国語全般が苦手でした。 学校の成績も国語が一番わるかったです(本当)。 そんな私なのに、 こんなに偉そうに「文章教室」なんてやってます(^_^)。
結城: 「最適化された文面」というのはなかなかすごい表現ですね。(^_^)
結城: 応援ありがとうございます。 「なかなか書けない」とのことですが、 「読み手」のことを考えていらっしゃるので、 きっとよいお仕事をなさっているのではないでしょうか。
結城: うん、だじゃれになってしまうかも、と後で気がつきました。 類義語のほうが今回のテーマには合っていましたね。 でも、いろんな文章が出てくるのではないかと、実は期待しています。
結城: おっしゃるとおりです。 私は、読み返して「おかしいな」という部分を「こう書いたほうがいいな」と直しているだけですね。 「文は短く」というルールも、機械的に適用しては生きてこないです。 あえて長い文にしたほうがいい場合もたくさんありますし、ね。 「読み返してもどこがおかしいかわからない」場合は、どうしたらいいでしょうね。 私はいじわるな読者の帽子をかぶるというのをやります。 可能な限り誤読する読者になりきるわけですね。 あるいは女性のつもりになって読んでみる。エキスパートのつもり、初心者のつもり、 中学生のつもり…。いろんな読者のつもりになって(いろんな帽子をかぶって)、 目の前の文章を読み返すと何かが見えてくるかもしれません。
結城: 応援のメッセージを感謝します。 この「文章教室」が多くの人の「楽しく書くきっかけ」になるといいですね。
結城: 今回の問題はちょっとひねりが少なすぎたかもしれません。反省。
結城: 自分で書いた文章を自分で読むときって、 変なところを見つけるのは難しいものですよね。
結城: テストだと、他の人の回答は見られませんが、 Webだと、同じ問題に他の人はどうチャレンジしたのかが分かって楽しいですよね。
結城: ご愛読、ご投稿ありがとうございます。 私もみなさんの文章を楽しく読んでおります。
結城: 投稿ありがとうございます。 日本語への翻訳でしょうか。素敵な勉強ですね。 また投稿してくださいね♪
結城: 投稿感謝します。 結城と勇気も同音異義語かな(^_^)。 ところで細かい話ですが、三点リーダーは、中黒三つ(・・・)ではなく、 1文字(…)で書きます。かな漢字変換では「てん」などで変換できるでしょう。 結城は「てんてん」と単語登録しています。
結城: かな漢字変換ソフトで探す、という手もありますね。
結城: まあそうですね。 そのあたり(読者や状況)も少しずつ文章教室の中で言及していきたいと思います。
結城: 実は私も日記のときの文章のほうが好きです。(^_^; なかなか文章って難しいものですね。
結城: 気分転換で文章の練習はいいですね。 かかっている時間は、早い人で数分、 ゆっくりやる人で数日といったところでしょうか。 それぞれのペースで楽しみましょう。
結城: 自分の言いたいことを自分の言葉で表現できる、 というのは楽しいことだと思います。 お互いにがんばりましょうね。 (にっこり)
結城: ふむふむ。 でも「言葉が出てこない」と感じるというのはすごいことです。 より適切な言葉、より自分の気持ちや考えに合った言葉を探そうと思わなければ、 「言葉が出てこない」とも感じませんから。 それから、言われた通りに辞書を開いているというのは、 とても素直ですね。
結城: むちゃくちゃたいへん、というほどではないです。 仕事の合間に少しずつ書いていますし。 名前は公開です。 もっとも公開といってもペンネームでもかまいませんが。 「投稿の前に」は必ず読んでくださいね。
結城: 他の人に読んでもらうというのは、とてもとても勉強になります。 特に、正直な意見を言ってくれる人というのは貴重ですから、 大事にしましょうね。
結城: そうですね。同じ文章を続けて読んでいると、 だんだん、良いのか悪いのか分からなくなりますね。 適当な時間をあけて繰り返し読むのがいいですね。
結城: 自分が書いた文章を読み返していらっしゃるとのこと、 それはとてもよいことですね。 また「文章教室」の課題に対して実際に書いてみようとなさる態度も、 素晴らしいと思います。 そうなんですよね。人の文章をふんふんと読むのと、 実際に自分の頭と手を動かして書くのとでは、 まったく違うんですよね。 その実感は、実際にやってみた人への「ごほうび」だと思っています。 こちらこそよろしくお願いします。
結城: ふむふむ。 Webで日記を書くというのは、 文章のよい練習ですよね。読者からの反応はありますでしょうか。
結城: そうですね。一番いいのは「毎日」書くことです。 毎日書いていないと、勘がにぶってきます。 何かしら書くことをお勧めします。
結城: 応援、ありがとうございます。 負担は大きいといえば大きいのですが、苦にはならないですね。 まあ楽しみつつ行こうと思います。 書籍化はいちおう考えてはいます。 どうなりますやら… (本の出版に携わっている編集者のみなさま、 この「文章教室」の書籍化の企画はいかがでしょう…なんちゃって♪)。
あなたのご意見・感想をお送りください。 あなたの一言が大きなはげみとなりますので、どんなことでもどうぞ。