ホーム > 結城浩の日記 > 2001年12月 | 検索 | 更新情報 |
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[WL] 「文章教室」の11回目を書く。 明日の公開に備えて準備を進める。 「文章教室」に対して、 読者の方々から(熱烈な)応援メッセージがたくさん届いています。 ありがとうございます。 第一回目の公開は1月1日の午前0時です、たぶん。
[DP/2] 年末年始の時間を利用して、 『Java言語で学ぶデザインパターン入門』マルチスレッド編の レビューを進めてくださっているレビューアの方々が たくさんいらっしゃいます。ありがとうございます。
今年も、たくさんの方から応援をいただき、 励ましをいただき、お祈りをいただきました。 みなさんに感謝し、 神さまに感謝いたします。
みなさんの上に、神さまの豊かな祝福がありますように。
午前中は今年最後の礼拝。 そうなんだよなあ。 クリスチャンは全員、天国で再会できるんだよなあ。 ねえ、おかあさん。 おかあさんもイエスさまの救いを信じたら、 天国で私と会えるのにね。
[WL] のんびりと「文章教室」の企画の準備をしている。 10回分まで書いてしまった。全然「のんびり」じゃない。
リビングでソフトバンクの封筒の裏に「文章教室」のメモを書いていると、 長男が尋ねてくる。
長男「おとうさん、何してるの」 私「(書きながら)ん? お仕事の文章を書いているよ」 長男「お仕事の文章って何?」 私「文章の書き方を教える文章だよ」 長男「ふうん(といいつつひざに乗ってくる)」 私「文章を書くときには『既知から未知へ』という順番で書くんだ」 長男「キチって秘密基地?」 私「(笑って)違うよ。既知は『もう知っていること』で、 未知は『まだ知らないこと』なんだ。文章は、 『もう知っていること』からはじめて、 だんだん『まだ知らないこと』に進むのがいいんだよ」 長男「ふうん」 私「たとえば、ベイブレードの裏技の文章を書くとしようか。 そのとき、ベイブレードのことを何にも知らない人に いきなり『ベイブレードの裏技』なんていってもわからないよね。 ベイブレードって何?って聞かれちゃうから。 ベイブレードって何だろう」 長男「コマみたいなものだね」 私「ベイブレードを知らない人でもコマは知っているかもしれない。 まず『ベイブレードはコマみたいなものです』ということを書く。 その後でベイブレードの話を書く。 コマが既知、ベイブレードは未知。 『既知から未知へ』というのはここでは『コマからベイブレードへ』ということだ」 長男「ふんふん」 私「じゃあ今度はインターネットのことを知らない人に対して、 キッズグーのページで紙飛行機のPDFをダウンロードする話を書くとしよう」 長男「インターネットのことを知らない人に?」 私「そう。コンピュータのことも知らないとしよう」 長男「ええ? … じゃあ、コンピュータの話をして、インターネットの話をして、 キッズグーの話をしてっていう順番だね!」 私「うん、そうなる。でもね。それではとても遠回りだ。 そんなときにはまず、紙飛行機の話をしちゃうんだ。 インターネットで紙飛行機をダウンロードする話はわからない人でも、 紙飛行機のことはわかるかもしれない。だからそれを先に話す。 紙飛行機を作るんだよ、って話をする。そしてそれから、 その紙飛行機の型紙はインターネットを使ってゲットする、 って話をするんだ」 長男「ふうん。相手によって話し方を変えるんだね」 私「まさに、そのとおり。文章を書くときにはそれが大事なんだ。 読者のことを考えて文章を書くこと、それが大事」 長男「何を知っているのか、がわかんないと、わかってもらえないんだね」 私「そのとおり。よくわかったね。かしこいねえ」 長男「へへ」 私「じゃあ、ウノしようか」 長男「うん!(と言ってひざから飛び降りる)」
今日は一日奥さんとデートをしていました。 青山の雑貨屋さんF.O.B COOPでしばらく過ごし、 SELANでおいしいお昼を食べました。 食後も雑貨屋さんなどを回る予定でしたが、 あいにく年末であちこち閉まっておりました。
F.O.B COOPで奥さんが雑貨を見ている間、 私は店中を歩き回りながら、 文章のことを考えていました。
SELANで食事をしているとき、 奥さんから「一年間、お仕事ご苦労さまでした」と言ってもらい、 私は幸せな気持ちになりました。 奥さんへは「そちらこそ、ご苦労さまでした」と答えました。
今年も、もうすぐ終わりですね。
みなさんも、一年間、ご苦労様でした。
「文章教室」へのアンケート、 10人か20人程度が答えてくれればいいなあ、と思っていたら、 思いもかけず多数の方が答えてくださいました。 ありがとうございます。 来年早々から少し動き出してみようかと思っていますので、 お楽しみに。
ぜひ積極的に投稿したい | 21 (25%) |
まあ投稿するかもしれない | 39 (47%) |
自分で投稿はしないけど、読むと思う | 21 (25%) |
投稿も読みもしないと思う | 0 (0%) |
よくわからない・その他 | 1 (1%) |
まずは、クリスチャンのあなたへ。 主の御名を賛美します。 今年はいかがでしたか。 主の御わざがあなたに臨み、主のあわれみとめぐみがあなたに注がれた年だと信じます。 主はあわれみふかいかた、めぐみふかいかた。主の御名をほめたたえます。 主の栄光がとこしえまでもありますように。アーメン。
あなたは、主にある兄弟姉妹です。 あなたは私のお兄さん/おとうと、 あなたは私のお姉さん/いもうとです。 イエスさまは私たちの共通のお兄さんですね。 私たちは主にある家族です。 天国で会えるのが楽しみです。 ハレルヤ!
でも、今年一年、神さまの望むようにできなかったときがたくさんあることも、私は理解できます。 神さまが望むようにできなかったこと、神さまが望まないことをたくさんやっちゃったことも、 私は理解できます。私自身がそうだったからです。 いま、いっしょに祈りましょう。
かみさま、いま、イエスさまの御名によって祈ります。 この弱い存在をゆるしてください。 あなたの恵みを知っているのに、 あなたの救いを知っているのに、 あなたの赦しを知っているのに、 あなたが望むことをさぼって・さきのばしにして・聞かないふりをしていたことを、 ゆるしてください。
いま、イエスさまの十字架のゆえにゆるしてください。 どうぞ来るべき年は、少しでもあなたの御声に聞き従うことができますように。 即座の従順を行うことができるように、聖霊さま、わたしたち一人一人を導いてください。 あなたの恵みに感謝し、あなたの完全な赦しに感謝して、 イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。
あなたの赦しを感謝します!ハレルヤ!
それから、ノンクリスチャンのあなたへ。 今年はいかがでしたか。 どうか、来年こそ、あなたがイエスさまの救いを受け入れる年となりますように。
この世はむなしいものでいっぱいです。 名誉が何でしょう。お金が何でしょう。学問が、知識が何でしょう。 おいしいもの、めずらしいものがいったい何になるのでしょう。 本当によいものを求めましょう。 永遠に新しいもの、永遠に変わることのないもの、いまから10年、20年、いや100年、1000年たっても まったく色あせないものをこそ、求めようではありませんか。 永遠のものこそ最も新しいものなのです。
あなたがとっても賢いことをわたしは知っています。 コンピュータも使えるでしょう、いろんな人に教えたりもするでしょう、 議論にも勝つでしょう、お金も儲けるでしょう、人から賞賛されるでしょう。 でも、それは、あなたが死ぬ直前には、まったく何の意味ももたないものです。 違いますか? この世に属するものは、あなたが死ぬときにはあなたにとって何の意味も持ちません。 ゼロです。無です。
あなたは自分が死ぬときのことを考えたことがあるでしょうか。 自分が死んだ後、どうなるかを考えたことがあるでしょうか。 あなたはこの世で何をなそうとしていますか。 そのために、いま、自分の時間を何に対して投資しようとしていますか。 あなたの心を尽くし、精神を尽くし、知性を尽くして、ぜひ、この2001年の年末に 考えてみてください。
この世のすべてを得たとしても、 自分の命を失ったら、何の得があるでしょう。 この世に流布している流行の考え、数ヶ月たったら消えうせる流行の思想、空しい議論…。 そんなものにあなたの貴重な時間を使っていてもいいのでしょうか。 あなたを救うことができる方は、たった一人。イエスキリストだけです。 この宇宙で、神さまから私たちに与えられている救いの御名は、イエスキリストだけなのです。 イエスさまはこの地上の生涯で私たちに「愛」を示してくださいました。 異性愛ではない。 イエスさまは、異性愛が1つの影に過ぎないほどに大きな愛を示してくださいました。 自分を犠牲にしてまでも人を救う愛を示してくださったのです。 それがイエスさまの十字架です。
現在、書店に行くと、たくさんの偽キリスト教があります。 もっともらしい哲学を説き、ちょっぴり安心させるだけのなまぬるい宗教があふれています。 扉が広く開かれ、ゆるゆると地獄へ続く道が展開されています。 それを見分けなければいけません。 神ではなく人間に重きを置くことは大きな誤り。 人間の努力で救いが得られるという主張も同じように大きな誤り。 怪しげな新興宗教は論外。
この世に調子を合わせてはいけません。私たちは狭い門であったとしても、正しい門を見分け、 何とかしてそこをくぐることが大事なのです。 イエスさまこそその門です。天国へいたる門、救いの門。自分という呪縛から逃れ、 罪の毎日から逃れる唯一の道。 真の平安と救いと慰めを与えてくださる方、それがイエスキリストなのです。
誰にもいえないあのことも、神さまはすべてご存知です。 自分の命の尽きるとき、あなたは神さまの前に、たった一人で裸で立ち、なんと申し開きをするつもりでしょう。
「あのこと」ができないくらいなら、 自分は地獄にいってもいいや、 と言っている人がいることも私は知っています。 とんでもない。とんでもないですよ。 そんなまやかしの思いにとらわれてはいけません。
イエスさまの御名だけが、あなたの救いです。 若き日に、あなたの救い主を覚えなさい。 あなたがイエスさまを信じるとき、あなたには希望があります。 人生は空しいものではなくなります。 人生の意味がわかります。あなたの人生の目的が時にかなってあなたに示されます。 人生はとても複雑です。 しかし人生の中にある意味・歓喜・希望・感謝・真理…そういったものは、 イエスさまを通すとき、初めて真に深く味わうことが出来るのです。 自分が正しい道からはずれ始めたときに、 正しく警告を発してくれるのはイエスさまだけ、聖書の御言葉だけなのです。
イエスさまはあなたの心をノックしています。 いま、ノックしています。 あなたの意思で、あなたが心を開くなら、はじめてイエスさまはあなたの心に ——たとえ家畜小屋のように汚くわびしい心であっても—— 来てくださるのです。
あなたがきよい人間になってからイエスさまが来られるのではありません。 あなたがまだ汚れているうちに、イエスさまは来てくださいます。 イエスさまはあなたを聖めるために来てくださるからです。
あなたは自分が病んでいると思いますか。 自分がとうてい救われることがない存在だと思いますか。 だとしたら、大丈夫。 イエスさまは、まさにあなたのためにこの地上に来られたからです。
来年とはいいません。 今日こそ、あなたの救いの日です。 どうか、いま、以下のページを読んで、心をイエスさまに向けて開き、 あなたの口で、祈ってください。
それが、あなたの救いに至る第一歩なのです。 あなたの救いを切に願います。
私は、天国であなたに会えるのを楽しみにしています。
忘年会。 鷲崎さんに初めてお会いしました。 それから、高橋麻奈さんにも初めてお会いしました。 とても勉強になりました。感謝します。
現在すでに28日になっていて眠いので、以上。
闇黒日記で面白いサービスが紹介されていたので、私もやってみました。 オライリーの本のデザインをしましょう、というもの。
[DP/2] 『Java言語で学ぶデザインパターン入門』マルチスレッド編の「まとめの章」を書いている。 まとめの章は、パターン・ランゲージにするつもりでいる。 このアイディアはレビューアさんからいただいたものです。感謝! 書き進める上で、 Webでパターン・ランゲージを書いた経験が、 とてもよい練習になっていることに気づいた。 自分の手を動かして、書いてみるって大事なんだなあ。 自分が面白いと思えることをどんどんやっていると、 いろんなことがうまくつながっていくものだなあ。 応援してくださるみなさんに感謝し、導いてくださる神さまに感謝します。
お風呂上がりの会話。回っている乾燥機を見て、長男が言う。 長男「2,1,7…、残り時間は2時間17分だね」 私「どうして? 217だったら217分かもしれないでしょ?」 長男「だって、2と17の間にてんてん(:)があるもの」 私「2分17秒かもしれないでしょ?」 長男「だって、見てたけど、16、15って減っていかないもん」 私「なるほど。なかなか観察力があるなあ」 長男「(ちょっと得意げに微笑む)」 私「ところで『観察力』ってなんだか知ってる?」 長男「知ってるよ! 『観察する力』のこと」 私「はは。じゃあ『観察』って何?」 長男「うーん…。『見ること』かな」 私「そうだね。じゃあ『観察』と『見ること』はおんなじ?」 長男「うーん…。わかった『観察』って『よく見ること』だ」 私「なかなかいいねえ。よく分かってるね」 長男「(ちょっと得意げに微笑む)」 私「○○くんは、言葉の意味をよく分かって話しているけれど、 世の中には言葉の意味を分からないで話す人がたくさんいるんだよ。 自分で『なんとかかんとか』と難しい言葉を言ってるのにその意味を知らないことがあるんだ」 長男「???? どうしてえ???」 私「どうしてだと思う?」 長男「わっかんなーい!」 私「いろんな場合があるけれど、例えば『知ったかぶりをしたい場合』だね。 ほら、難しい言葉を使っていると、みんなから、 『わあー、あの人すごいー。私の知らない難しい言葉を使っているー』 って言ってもらえるから」 長男「変なのっ」 私「自分が使っている言葉をときどきチェックして、 『自分は言葉の意味を分かって使っているかな、知ったかぶりしていないかな』 って考えるのは、とても大事なんだ」 長男「ふーん」
[WL] 今日はみなさんにアンケートのお願いがあります。
いま結城の中では、新しいWebでの企画のアイディアがあります。 それは「文章教室」と題して、 読みやすく、分かりやすい文章を書く練習をする場を作る、というものです。
前書きの部分はできましたが、 具体的な内容はいま煮詰めているところです(以下のリンクを参照ください)。
まあ要するに、結城が文章を書く課題をWebで出して、 読者が文章を書いて結城にメールする。 結城はそれを読んで、コメントつけてWebにまとめる…とそういう企画です。 メールマガジンでもメーリングリストでもなく、 Webで出題、メールで解答というスタイルです。 出題頻度は、隔週に1回または月イチくらいで、 12回でいちおう完結する予定。 あまり厳しい内容・時間がかかる内容ではなく、 ふんわかした内容・気軽に参加できる内容にしようと思っています。 はげまし多めで、 文章を楽しんで書いてみましょうよ、 というスタンスにしたいです。
何となく、面白いことが起こりそうな予感がしていますので、 「あんた、人に教えるほど文章うまいんかいっ」という突っ込みはさておき、 ちょっとやってみようかな、と思っておりまする。
でもって、もし結城がこういう企画をはじめたら、 どのくらい投稿者がいるだろうか? と知りたくなりました。 で、アンケートを作ってみました。 もちろん、 具体的な内容はわからないと回答できないとは思いますが、 あなたの「感じ」で結構ですので、ご回答くださいませ(ペコリ)。
それから、この企画に対するご意見もいただければ感謝です。
結城浩です。
このたびは「よかった探し」リース / 2001年バージョンにご参加いただき、 ありがとうございました。心から感謝します。
「よかった探しリース」は、2001年11月25日〜12月25日の間、 総計26ページの参加者を得て、これまでで最高に大きなリースとなりました。 この機会にホームページをはじめて作った方もいらっしゃったことと思います。 これが、何かのきっかけになるといいですね。
さて、今後の「リース」です。 せっかくつないだ手を離すのは忍びないのですが、 新たな年へ向かう準備として、 いったんお手々を離したいと思います。
各ページをキープするか削除するかは、 作成者ごとにおまかせしています。
作成者だけではなく、 リースを巡ってくださった方々、 みなさま、ご参加ありがとうございました。
朝方、仕事をぱたぱたしていたので眠い眠い。
フリーのテキストを翻訳して公開するプロジェクト杉田玄白に、『聖書』が登場した模様。 4つの福音書とヨハネの手紙。
山形浩生さんのところや、 森山さんのところを まねっこして「結城さんちの本屋さん」の クリック数ランキングを出してみました。 クリック数はわかりますが、誰がクリックしたかまでは結城にはわかりません。
[EP] WikiのRecentChangesをRSSにするのはうまくいったのだが、 サーバにXML::RSSをインストールするのは面倒なので、 小さなRSS1.0 generatorを作った(Yuki::RSS)。 何だかすごい泥縄。でも勉強になった。
[EP] YukiWikiMini/Templateを拡張中。 Wikiのスタイルを動的に切り換えたり、 WikiのRecentChangesをRSSにしたり、 いろいろと実験中…。
クリスマスおめでとうございます(^_^)。
クリスマスと新年のごあいさつを兼ねて、 Lindaさんへの返事に、 結城のリコーダー演奏のMP3が置いてあるURLをご紹介しました。 Lindaさんは全部聞いてくださったようで、 "They are all beautiful. You have a beautiful tone and phrasing. You play very well." とおほめにあずかりました。うれしい、うれしい *^_^* 。 やっぱりいろいろ公開しておくと、楽しいことが広がりますねえ。
Lindaさんのリコーダーのグループは、 AG Communications Systemsで働いていた技術者が大半だそうです。
結城浩です。 2001年5月24日に作った この「デザインパターン・メーリングリスト」は、 ちょうど7ヶ月たったいまや、 2000人以上の参加者を持つ大所帯となりました。 参加者に恵まれ、適度な流量のメールが継続して流れ、 とてもよいメーリングリストに育ったなあと思います。 参加者のみなさんに心から感謝します。 興味深い話題や質問を提供してくださる方々、 またお忙しい中、親切な応答や貴重な意見を出してくださる方々、 それから、投稿はしなくてもこのMLを多くの人に紹介してくださり、 またあたたかく見守ってくださるROMの方々に、 感謝いたします。 あと1週間ほどになった今年も、また新しい年も、 この[DP/ML]が楽しく有意義な場となりますように、 みなさんどうぞよろしくお願いいたします。 I wish you a merry Christmas and a Happy New Year!
例えば、教会でクリスマスの集会があるとしますね。 牧師さん、司会者、代表して祈る祈り手、賛美のリーダーは表に立って、 人の目につきます。 大きな教会なら聖歌隊の賛美や、 特別賛美と称してゲストのミュージシャンの賛美があったりすることもあるでしょう。 参加者はそのようなイベントを通じて、 また新たに神さまからのメッセージをいただき、 楽しみ、恵みをシェアすることになります。
ところで、 今日は、そういう表舞台で役割を果たす人たちではなく、 裏方さんに思いをはせたいと思います。 どんなイベントでも、必ず裏方さんがいます (小さい教会なら裏方さんが牧師先生本人だったりする場合もあるでしょうけれど(^_^;)。 人の目につかず、イベント当日も人前にはあまり登場せず、 他の人の助けとなるように、くるくると動いているスタッフがいるのです。 駐車場の案内係、ベビー・シッターさん、会場設営とライティングや音響係さん、 それから私も想像できないような働きをなさっている人がたくさんいらっしゃいます。 そういった方々の働きは、とても貴重なものです。 ポイントはこうです。 「うまくやったとしても、 他の人から注目されたり誉められたりすることはほとんどない。 でも、何か失敗やトラブルを起こしたら、 苦情を受けたり叱られたりする」 そういう役回りですね。
表舞台で役割を果たす人は、 自分に栄光を帰さないように注意を払う必要があります。 自分を偉いものと見なしてしまうというサタンからの誘惑を見分けなければなりません。 しかし、裏方さんは裏方さんで、 表舞台で役割を果たす人とはまた違ったサタンからの攻撃があります。 さまざまな種類のねたみ、不平不満、 それから自分だけの世界に閉じこもってしまう危険も。 あるいは逆に、自分のキャパシティを越えて疲労困憊してしまう危険もあります (「奉仕者の燃え尽き」というのはよく聞く話です)。
教会の活動は、その結果だけが重要なのではありません。 教会の活動は、そのプロセス自身が信仰の表明、愛の練習なのです。 教会の奉仕をする人は、 表舞台に立つ人はもちろんのこと、 裏方さんであっても、常にイエスさまに祈り、 聖霊さまから力を受けてすべてのことをなす必要があります。 サタンは私たちの微妙な心に攻撃をしかけてきます。 いつもイエスさまの御名の権威に立ち、 信仰の大盾をとって歩むようにいたしましょう。
クリスマスの近辺にはたくさんのイベントがあります。 大胆に他の人に信仰をあかしするチャンスでもありますが、 自分の霊的な状態に注意して、常に入念な祈りが必要です。 大人数で盛り上がるイベントも大切ですが、 少人数でひそやかに祈り合うひとときも大切です。 そしてそのときには、 表舞台に立つ人への祈りと共に、 裏方さんのための祈りも忘れずに。
クリスマスおめでとうございます。
員子さんから、 うれしいメールをいただいたので、 許可を得て、みなさんにもご紹介いたします。 ありがとうございます。
感謝して、主の栄光をほめたたえます。
結城さん 姉からメールで「『よかった探しリース』見たよ。 よかったことが多くて、とてもよい一年だったね。」 ええっと驚いた。 7月に親友を亡くしてから、すごく試練の一年だと思い込んでたのに リストに挙げてみると、よかったことが多かったことに気付きました。 「よかった探しリース」のおかげです。 企画してくださってありがとう。また励ましてくださってありがとう。 あの励ましが無かったら、ホームページデビューは絶対しなかったです。 私のホームページは1年前に作ってほったらかしにしてました。 感謝 員子
最近、私がWebページを見ていると、次男が「○○見る〜」と言う。 以前見たことのあるページをもう一度見せてほしいと主張しているのだ。
「関心空間」に「リチャード・ストールマン」を登録していると、 次男がやってきて画面を見、 「これ、イエチュしゃま(イエスさま)?」と聞く。 私が「違うよ、これはストールマンだよ」というと、 次男は「ストールマン見る〜」とわけもわからず主張する。
見出しの枠線をちょっぴりクリスマス風にしました(期間限定)。 スタイルシートを使っていると、こういうことが簡単にできて楽しいですね。 スタイルシートのファイル1個を入れ替えるだけで、 HTMLファイルはそのままでも、表示のスタイルがごっそり変わるところがミソですね。
h2.section { margin-top: 3em; border-bottom: #99c thin solid; }
↓
h2.section { margin-top: 3em; border-top: #f66 thin solid; border-bottom: #6f6 thin solid; padding-top: 1ex; padding-bottom: 1ex; }
[Wiki] 美崎薫さんが、 Wiki本を書こうとなさっているとのこと。 YukiWikiを公開している関係でメールをいただきました。 よい本になるといいですね。
[DP/2] まとめの章を書いている。 これまでの章を書いている途中で まとめの章は少しずつ書いていたのだが、 先ほどちょっとアイディアがわいて、 現在の書きかけ原稿は全部破棄して、まとめの章を書き直すことにした。 で、少し書き直しかけたのだが、構成上の問題を感じてしばしストップ。 ふうむ。
ところで、 よかった探しリースの方はトップページが3800アクセスを越えていた。
ちょっとメモ。
while (<>) { if (/^From:.*?\<_(.*?)\>/) { push(@mail, $1); } } print join(',', @mail);
ウイルスですよ、 と教えた相手からお礼のメールがやってくるようになった。 こんな感じのメール。
ご丁寧に教えてくださってありがとうございます。 はじめての体験でとまどってしまいましたが、 対策していきたいとおもいます。 すみませんでした。
Linda Risingさんからメールが来た。 なんだろうと思ったら「あなたもリコーダー吹きなのですね」とのこと。 結城の英語版プロフィールのページを見たらしいです。 Lindaさんもリコーダーのグループに参加しているとのこと。 そういえば石井勝さん(まさーるさん)もリコーダーを吹いてらっしゃいましたね。
うーん、 やっぱり英語版のページを作っておくって大事だなあ。楽しい。 もっといろんなコンテンツを英語で書く練習をした方がよいかもしれない。
そういえば、 Lindaさんは、確かに私の英語版プロフィールを読んでくださっている。 だってメールの始まりが、 Dear Hiroshiではなく、Yuki-sanになっていたもの。
[DP/2] やっと、12個目のお話(最後のお話)がまとまったので、 レビューアさんへ送付。まだ「まとめ」と「付録」が残っているけれど、 ちょっぴり一段落。ふ〜。
神さまに感謝し、結城のためにお祈り・応援してくださるみなさんに感謝します。
先日、わたしは英文の手紙を公開しました。
ありがたいことに、それを添削してくださった方がいますので、要旨をご紹介します。
One of my friends has read your page and found out that the following part seems to be misleading to readers.
という部分ですが、 has read your pageは、 ここでは単にread your pageでOKです。 理由は聞かないでください。私にもわかりません。(笑)
found outというと、 通常「事実」を発見したことを意味するので この文脈では違和感があります。 and found the following part rather misleading. くらいの方がすっきりするかと思います。
書きながら自分でも苦笑するのですが、 日本人は断定することを避けたがるんですよね。 自分で書いたものをふりかえってみても、「〜と思います」「〜ではないでしょうか」 「〜のようです」「〜と言われています」などのオンパレードです。 そして日本人は英文を書く時にも同様にI thinkやIt seemsを連発する傾向がありますが、 これはネイティブには非常にまどろっこしく感じられるそうです (ほら、また断定を避けてる)。 ためしにI thinkやIt seemsを使わないで 同じ意味の英文が書けるかやってみると、随分すっきりとした、 しかも「ネイティブの英語っぽい」文章になることがわかって面白いかもしれないですよ。
[DP/2] 今日も12個目のお話…。 結城の日記を読んでくださるみなさん、いつも同じことばかり書いていてごめんなさい。 でも、やっぱり、今日も12個目のお話を書いています。 もう一度、心を新たにして最初から読み直し、文章がおかしいところを修正しながら進んでいる。 読者の気持ちになって、図を読み直す(見直しというよりは読み直しに近い)。 間違いを見つけたので、修正する。 よりよい図の配置を考えついたので修正。クラス名も少し修正。 こういう1つ1つの細かい判断というのは、 何というか…なんともいえない複雑な作業だ。 木を見たり、森を見たりしている。 非常に細かいディテールを気にしたり、 他の章との兼ね合いに注目したり、 それからまた、読者に与える印象に気を配ったりする。 パラレリズムも大事、メタファーも大事。でも適切に使わないと有害。
12個目のお話の中には、 それまでの11個の話のうちのいくつかが見え隠れしていてとても面白い。 それってハッとする驚きがありますよね。 「ああ、これは、前に見たことがある。このあいだ学んだことではないか!」 そういう驚き、そういう発見を、ほんのちょっぴり遅めに提示する。 すると、注意深い読者は、 著者が指摘するよりも先に発見して深い喜びを味わう。 なぞなぞの答えを早く教えたがる子供のように先走って書いてはいけない。 でも、推理小説のように最後の最後まで謎解きを遅らせてはいけない。
C MAGAZINEのWebサイトが、 新しいドメインCmagazine.jpに移転するようです(2001年12月18日)。
[DP/2] 今日も12個目のお話を書いている。 今日は全体を読み直して、練習問題を1つ2つ作っては解く。 ぴしりと決まらない原因は、 何となく「知ったかぶりをしようとしている」からのような気がしてきた。 そんなに気負わないで、淡々と、 理解していることをきちんと書くようにしましょうね。 と自分に言いきかせる。
「ウイルスに感染していませんか」のお返事が何通か戻ってきた。 ワクチンソフトなどで検出・駆除なさったようである。 よかったよかった。
午前中は礼拝。午後からお昼寝。夕方から喫茶店でお仕事。
[DP/2] 12個目のお話にはずいぶん手間取っている。 文章を少し整理して、練習問題を1つ作って解こうとした。 練習問題としては簡単、 と思っていたのだが実際に解いてみると非常に難しいことが判明。 3個ほどプログラムを書きかけて、断念。 別のアプローチを思いつくまでこの問題は保留。 やれやれ。
私が書くプログラミングの書籍には練習問題がよく登場する。 そして必ず解答がつく。 なぜかというと、解答がないと独学している読者が困るから。 解答はヒントだけではいけない。 出来不出来はさておき、ちゃんと解答になっていなければならない。 なぜかというと、読者が困るから。 それから、読者を「出し抜こう」とする問題はよくない。 著者は読者に対して優越感を感じるために本を書くのではないからだ。 著者は読者に何かを伝えようとして本文を書く。 そしてその「何か」が伝わったかどうかの確認のために練習問題を書くのだ。
練習問題は知識の確認のためだけにあるのではない。 練習問題を解くことは新たな何かを学ぶ機会でもある。 練習問題を頑張って解いた人、解こうとした人の頭は活性化している。 その状態になっている人には、新しい情報・新しい知識を伝えやすい。 それに頑張った読者には「ごほうび」があってしかるべきではないか。 その「ごほうび」とは本文では解説できなかった(けれども重要な)事項かもしれないし、 その練習問題にチャレンジした後なら理解しやすい事項かもしれない。 ともかく、練習問題の解答には「プラス・アルファ」をできるだけ用意しようと思っている。
…というような本を書くための私の「心がけ」はあくまで心がけであって、 必ずしも常に100%実現できているわけではないけれど、 まあそういう方向で努力しているのである。 ところで、こういう心がけを私はどこで学んだか。 『プログラミング入門者向けの書籍を書くには』 という本を買って読んだわけではない。 練習問題に関してはクヌース先生の "The Art of Computer Programming"や、 "The TeXbook"から学んだ。 これらの本は初心者向けではないけれど、 練習問題がついていて、解答がついている。 そして上記の「ごほうび」に相当するものもちゃんとあるのだ。 クヌース先生の本の書き方をそっくり真似することはできない。 でも、クヌース先生の本から私は多くのことを学んだ。
ジョークの扱いもクヌース先生から学んだ。 プログラミングの本に、ジョークを入れるなら、 単なるだじゃれや笑い話にしないこと。 そこで解説している内容を「読者が理解しているときに限って」 クスリ・ニヤリとできるように構成する必要がある。 私は「ギコ猫とデザインパターン」のページを書くときにも、そう努力した。 うまくいったかどうかはえーと…まあさておき。
ところで私はなぜこんな話を書いているのか。 私はプログラミングの本を書く仕事をしているのだから、 こういう話はいわば「企業秘密」ではないのか。 なぜそんな(結城にとって)重要な話やネタ元を公開するのか。
理由は簡単だ。私の日記を読んでいる人の中には、 私と同じようにプログラミングの本を書きたいと思っている人がいるからだ。 私は読みやすく、分かりやすい、 よいプログラミングの本が増えればよいと思う。 だから、私は自分の得たノウハウを公開する。 そうすれば、そのノウハウを他の著者が(必要ならば)利用することができる。 それはよいことではないだろうか?
それに、最近よく思うのだが、 いくらノウハウを公開しても何も問題は起こらないのだ。 私の書く本は私の書く本。他の人の書く本は他の人の書く本。 ノウハウが同じだとしても、同じ本は決して出来ないからだ。
自分の知識を隠そう隠そう、守ろう守ろうとして小さくなるよりも、 どんどん公開した方が結局はよいのだ。 私自身も他の人が公開した情報からメリットを得る。 他の人は私が公開した情報からメリットを得る。 「自分のもっともよいものを他の人に与えなさい」 というのは まるで聖書に書かれているような言葉だけれど、 実はコンサルタントのワインバーグの言葉だ。 これは真理だと思う。 自分のもっともよいものを他の人に与える。 お金や物なら、人に与えたらなくなるが、知識は違う。 どんどん公開しよう。他の人に惜しみなく与えよう。 特に、よいものを与えよう。 そうすると、不思議なことに、与えたものよりもはるかに多くの何かが、 他の人から返ってくるのだ。 これは、嘘ではありません。 Trust me.
例えば、 先日公開した 「技術系メーリングリストで質問するときのパターン・ランゲージ」 のページがありますよね。 あのページへの反響はすごくて、たくさんの方からフィードバックをもらっています。 それを通して私は励ましを得、知識を得、また新しい知見を得ました。 文章・メーリングリスト・コミュニティに関する理解も深まりました。 こういうのって、はかりしれない報酬ではないかと思うのです。 あのページを紹介してくださっている方々、 結城にフィードバックを送ってくださった方々に感謝します。
だから、これからも、できるだけよいものを、可能な限り公開していこうと思うのです。
「技術系メーリングリストで質問するときのパターン・ランゲージ」 をJava-Houseに投稿してくださったCroutonさんに感謝します。 そういえばCroutonさんは、 私の『Java言語で学ぶデザインパターン入門』を スラッシュドット・ジャパンに紹介してくださった方でもあります。 重ねて感謝します。
今日は次男と2人で半日過ごす。 バスに乗ってデパートへ行く。 バスの扉のところに「手をはさまないように」とカニの絵が描いてある。 それを見て「あれ、ザリガニ?」と聞く。 「違うよ。あれはカニさん」と答えると、 「ザリガニちがうの? カニちゃん?」と目を見開く。 宅急便のトラックをすれ違うと「たっきゅーびん!」と大声を出して指差す。
屋上のミニ遊園地に行って、トーマスに乗る。 それからアンパンマンのもぐらたたき(顔を出すのはバイキンマン)をする。 私はもぐらたたきゲームが大好き。 高得点を出すコツは、付属のトンカチを使わず、 自分の両手を使うこと。次男も一緒にけらけらと笑う。 次男は笑うとき、口の前に手をかざす。そのしぐさがなんとも可愛い。 いっしょにプリクラ。
その後、本屋さんに行って絵本を読んだり、パズルで遊んだり。 それからマクドナルドに入ってお昼にする。 ナゲットにマスタードをどっぷりつけて平気な顔で食べる。 辛くないの?
再びデパートに行く。借りたベビーカーに乗せてお店の中をぐるぐる回る。 小さい声で「♪救い主イェスと 共に行く身は 乏しきことなく 恐れもあらじ…」と歌っていると、 いつのまにか次男はベビーカーの中ですやすや眠ってしまう。
喫茶店に入り、次男は眠らせたまま、私は持ってきた文庫本を読む。 文庫本を読んでいるうちに、将来書きたい本のアイディアがいくつか湧いてくる。 お店のおねえさんにボールペンを借りて、 文庫本の後ろの余白に思いついたことをどんどん書き留める。
2時間くらい経って、喫茶店が混み始めたころに次男が目をさます。 でもまだ寝ぼけていて、泣きそうな声で「だっこ…だっこちて…」と言う。 だっこして、背中をなでると、また寝入る。 手が使えなくなったので、携帯電話を文鎮代わりにして文庫本を読み続ける。
しばらくして次男は、今度はすっきりと目をさます。 喫茶店を出て少し歩く。鳩を追いかけたり、カラスを見たり。 それから、バスに乗って帰る。 バスの中で、ドアを指差して「カニちゃん!」と言う。
ふむ。記憶している。
[JN] 先日、UNIX USERの連載原稿を送付。 いつも遅くなってすみません。お世話をおかけいたします (午前3時ごろ編集部に原稿を送ったら、 すぐさま返事が来て非常に驚いた)。
[DP/2] 12個目のお話をまだ書いている。 今日は図を1つ描いて、3節ほど加筆した。 全体を読み直して「あら」をとっているうちに、 気がついたことをメモする。 以前書いておいたメモを読んでそれを少し展開した話を書く (昔の自分が書いた手紙を読むようなものですね)。 しばらく頭痛がひどかったり、連載原稿を書いたりしていたので、 少し本を書くカンが鈍っているような気がする。 …けれど、それは悪いことだけではない。 以前書いた文章を、新たな視点で読み直すことができるから、 校正には適した状態なのだ。 ただ、いまはまだ校正の深みに入ることはできない。 まずは、全体を書き上げることを最優先にして、つっぱしらなくては。 この章はあとは練習問題くらいかな。
野嵜健秀さんの以前の「闇黒日記」の中で、 p要素の子要素としてul要素が入らない(つまりli要素も入らない)という話題が出ていた。 それを読みながら、 日本語では「箇条書き」の重みが比較的軽いのかもしれないと思いました。 PerlのPODや各種ブラウザのレンダリングを見てみると、 「箇条書きの各項目は、1つのパラグラフとして扱われている」 ような気がします。 一方、日本語では、 箇条書きの各項目はパラグラフほどの重みがないのではないでしょうか。 だからどうだというわけではありませんが。
ウイルス(ワーム)が私あてに送ってくるメールのうち、 送り主(ウイルスに感染している人)のアドレスがわかる人に対して、 注意をうながすメールを送ってみている。 送り主のアドレスの頭にアンダースコアが付くことがあるのでそれは修正する。 当然ながら、送られてきたウイルスつきの添付ファイルは返信しない。 こういう連絡はしたほうがいいのか、 しないほうがいいのかもよくわからないですねえ。 ウイルスを装って、 メールアドレスを収集している人だったりすると困るなあ。
こんにちは。結城と申します。 あなたのアドレスから私のところへ、 ウイルスによるメールが来ています。 あなたのマシンが感染している恐れがありますので、 ウイルス対策のWebページなどでチェックすることをおすすめします。
しつこいですけれど、 これをお読みのあなたのマシンは大丈夫ですか。 ちゃんとウイルスチェックしていますか。 ウイルスに感染していても、 感染している本人が気づいていない場合も多いんですよ。 知らないうちに世界中にウイルスつきのメールをまき散らしていませんか。 ちゃんとウイルスチェックしてくださいね。
それでは今日は比喩のお話をしましょう。
読みやすく、分かりやすい文章には比喩やたとえ話が欠かせません。 抽象的で理解しにくい内容でも、 適切な比喩があれば、 読者はすっきりと理解できます。
しかし、適切な比喩を見つけるのは難しいものです。 「例えば」と言えばいいというものではありません。 適切な比喩を使うには以下のような注意が必要です。
読者が理解しやすい内容であること。 説明したい内容よりも難しい比喩を使ってはいけません。 また、読者がよく知らない分野からたとえ話を引いてきてはいけません。 「読者のことを考える」という大原則を忘れてはいけません。 農夫に話すときには種まきにたとえ、 漁師に説明するなら魚とりにたとえるのはよいことです (読者からs/猟師/漁師/ではないかという指摘をいただきました。感謝しつつ修正)。
説明したい内容との対応がきちんとつくこと。 説明したい内容と対応がうまくつかない比喩は、 理解の妨げになります。 「C言語のポインタはサボテンのようなもの。 うまく扱わないと怪我をする」というのは貧しい比喩です。
比喩はあくまで理解の助けとするものであって、 100%の完全な対応を望むのはやりすぎであること。 説明したい内容と対応がつく方が望ましいのですが、 それはあくまで構造上の対応、大きな枠組みでの対応で構いません。 ディテールまで無理に対応をつけるとかえって害をなす場合もあります。
比喩の「トーン」に注意すること。 たとえ構造上の対応がうまくつく比喩を見つけても、 読者に不快感を抱かせるもの、 読者の注意が比喩の方にそれてしまうようなものは不適切です。
必要に応じて比喩を離れて、より正確な理解を読者にうながすこと。 導入部分で比喩を使うのは適切です。 しかし専門的な知識の習得や、 より正確な理解のためには比喩が害をなす場合もあります。 比喩によって読者が概要をつかんだ後は、 数式を使うなど、 よりフォーマルな解説への移行が必要な場合があります。
よい比喩を見つけるにはどうしたらよいのでしょうか。 いつも心を広く持ち、目を開き、耳をすましましょう。 物事の構造や仕組みに関心を持ちましょう。 「これは何に似ているだろうか。どこが似ているだろうか。どこが違うだろうか」 と考える習慣をつけましょう。 さまざまな事象について、 自分の理解を深めることは大切です。 しかし「読者は、何をどのように理解しているか」 に思いを寄せることも大切です。
思いつくままお話してきましたが、 基本原則はたった一つですね。 「読者のことを考えよ」 これに尽きます。 すべてはこの原則を展開しているだけの話です。
文章を書くなら「読者のことを考えよ」。 講演をするなら「聴衆のことを考えよ」。 話をするなら「聞き手のことを考えよ」。 教えるなら「生徒のことを考えよ」。 製品を作るなら「利用者のことを考えよ」。 営業をするなら「顧客のことを考えよ」。 いつも「相手のことを考えよ」。 …いくらでも応用ができそうですね。
「相手のことを考えよ」 —— これはまた「愛」の原則でもあるのです。
頭痛のため、睡眠を多めにとっていたけれど、 動けるようになったので[JN]の連載記事を書く。 だいぶ遅れてしまった…。
日記は、 数日前くらいまで読めたほうがいいという意見があったので、 そうする。
家内が、 「アマゾンアフィリエイトの収入は、 自分で使うのではなく、 どこかの公共団体に全額寄付した方がよいと思うわ。 たとえ金額が少なくても。なんとなく、その方がいいと思う」 というので、そうすることにする。 家内からの言葉は、天使からの言葉のようなものだ。 あなたがそうおっしゃるなら、そうすることにいたしましょう。
頭痛がひどい。 頭が割れるように痛い一日。
とりあえず、日記ダイジェストを更新。 いたたたた…。
[DP/2] 12個目のお話をまだ書いている。 このお話で書くべき内容はだいたい書いた。 残っているのは、読み直して文章を整理することと、 練習問題の作成と解答だ。 12個目のお話は12月10日くらいにはレビューアさんたちに送れるかな、難しいかな…。 12個目のお話が終わったら、まとめの章を書いて、付録の章を書く。 それでとりあえず1冊の本が形になったことになる——量的には。 レビューアさんに送った時点でも、文章にはなっているけれど、 質的にはまだまだ磨き上げる必要がある。 章の構成は変わらないけれど、 小さな節単位では入れ替えや追加・削除が必要になるだろう。 図のチェック、プログラムの不統一の修正、などの作業も山積みである。 それからレビューアさんの意見をどう「かけはぎ」していくかも考えなくては。 とまれかくまれ、そこまで磨きがかかれば、一応の「脱稿」ということになる。 晴れて原稿・図・プログラムリストは著者の手を離れ、 プロフェッショナルの編集者の手に渡ることになる。 少し前まではクリスマス脱稿、と思っていたけれど、それは難しいかもしれない。 実際には年明けかな。どうかな。
忙中閑あり。 スティーブン・キングの『小説作法』を読む。
むちゃくちゃ面白い。アマゾンでこの本のことを知ってから、 絶対これは私の好きな本だ。面白いに違いない、と思っていたが、まさにその通り。 キングは言うまでもなくホラー小説の大家であり、小説でも映画でも大人気のベストセラー作家である。 『小説作法』は、幼少時代の思い出から始まって、キングの下積み時代の苦労話を語る。 極貧の中で書く。 キングは自分自身の姿——いや、キングとタビサの2人の姿——を描く。 この夫妻は苦労を共にし、互いに愛し合い、助け合っている。 相手のことを信頼し、励まし、他に誰一人も理解してくれる人がいなくても互いに理解しあっている。 キングはアルコール中毒になる。アルコール中毒の中でキングは書き続ける。 そしてタビサはキングをアルコール中毒から救い出す。
キングは思い出だけを書くのではない。 本書の中心にあるのは「言葉」だ。 キングは、正統的な文章の書き方を説く。 最初に薦める本はThe Elements of Styleだ。 文章は大文字ではじめ、ピリオドで終えよ。 小説は「一語一語」書くしかない。 副詞を削れ。受動態をやめよ。 第1稿はドアを閉じて(自分のために)書き、 第2稿はドアを開いて(他の人から読まれることを考えて)書け。 「第2稿=第1稿−10%」という公式を使え。 読者の反応を考えて書け。
1人のドライバーが1999年にキングを車ではねた。 この『小説作法』の執筆途中の出来事である。 ヘリコプターがキングを病院へ運ぶ。 キングはそのいきさつも書く。 そして奥さんのタビサがキングをいかに支えたかも。 キングは事故の後、5週間で仕事を再開した。
スティーブン・キングの作品の好き嫌いに関わらず、 文章を書く人は『小説作法』から多くを得るだろう。 少なくとも私は、昨日一日で『小説作法』から多くを学んだ (一日で読んでしまった。途中でやめられなかったのだ)。 文章を書かない人であっても何かを得るだろう。 読みながら私は何度も涙ぐんだ——文章と人生に対するキングの態度に。
[JN] UNIX USERの連載記事を書いている。 XMLとJavaをベースにしたmakeツール「Ant」のお話の後編。
YukiWikiで出ていた64の質問(いまはもっと増えているけれど)に答えました。 他の方々の答えと比較するとなかなか興味深い。
次男は風邪。鼻水・涙・咳がひどいけれど、当人は元気で暴れまくっている。 次男の最近のお気に入りはJesusのビデオや礼拝のビデオを繰り返し観ること。 大人がいやになるくらいまで繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し観ている。 あ、そうそう。うちにはずっとテレビがありませんでしたが、 最近テレビデオ(ビデオつきテレビ)を買いました。 でもテレビ放送は観ていなくて(そういえば、映るのかな)、 主に子供が教育関係のビデオを観ています。 スキャリーさんのビデオとか。
長男の最近のお気に入りはインターネットでゲットした 紙飛行機をプリントアウトして工作すること。 いままで何十枚プリントアウトしたことだろう…。
これまで日記の末尾で紹介していた本へのリンクは、 「結城さんちの本屋さん」として別のページにまとめました。 それにあわせて、本の紹介文を少しずつ充実させています。 ここで紹介している本は、 ほぼすべて私が自分で実際に読んでよかったもの、 面白かったものです。 折にふれて追加していくつもり。
もしアマゾンで本を購入する機会がありましたら、 「結城さんちの本屋さん」経由でぜひどうぞ。
日記ダイジェストを更新しました。2001年5月分。 私『Java言語で学ぶデザインパターン入門』のために日記でもお祈りしていたのですね…。 すっかり忘れていました(^_^;
でも神さまは本当に祈りを聞いてくださいました。 主の御名をほめたたえます。 神さま、あなたは素晴らしい方です。 あなたに感謝し、あなたにすべての栄光をお返しいたします。 イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。
[DP/2] 12個目のお話をまだ書いている。 今日は、先を書き進めるためにもう一度最初から読み直す。 クラス図を修正しているうちに、シーケンス図を描きたくなったのでそうする。 図を描くのはとてもとても時間がかかる。 でも、自分の理解を確認するにはとてもよい。 それから図を描いているうちに説明するための内容を思いついたりするのでさらによい。 思いついたことは忘れないようにすぐメモしておく。 紙にメモすると無くしてしまうので、原稿ファイルに直接書き込んでおく。 未来の私への手紙のように。
鷲崎さんの「ほげ日記」を読んでいると、 私の気になる話題がよく出てくるのでついメールを出してしまう。 先日は、Inside the Java 2 Virtual Machineの図の誤りの指摘があったので、 昨晩、お風呂に入る前に修正版の図を描いた。 今朝、ひげをそっているときに、 ふと思い立って著者(Bill)にメールを書いた(後述)。 「私の友人の鷲崎さんという人が間違いを見つけたようで、 私が修正版の図を描きました」というメールである。 それが8時48分のこと。
その後、顔を洗って着替えをして、 メールチェックをしたらBillさんからもう返事が来ていてすごく驚いた。 9時ちょうど(つまり12分後)。 Billさんもその間違いには気づいていて、 修正版の図を公開しているとのこと(後述)。
以下は、結城が書いたメール (鷲崎さんへもCCした)。
Dear Bill, One of my friends (Hironori Washizaki washi@fuka.info.waseda.ac.jp) has read your page http://www.artima.com/insidejvm/ed2/ch20ThreadSynchronization01.html and found out that the following part seems to be misleading to readers. > If the former owner did not execute a notify before > it released the monitor (and none of the waiting threads > were previously notified and were waiting to be resurrected), > then only the threads in the entry set will compete to > acquire the monitor. If the former owner did execute a notify, then > the entry set threads will have to compete with one or > more threads from the wait set. If a thread from the entry set > wins the competition, it passes through door number two and > becomes the new owner of the monitor. If a thread from the wait > set wins the competition, it exits the wait set and reacquires > the monitor as it passes through door number four. Note that > doors three and four are the only ways a thread can enter or > exit the wait set. A thread can only execute a wait command if > it currently owns the monitor, and it can't leave the wait set > without automatically becoming again the owner of the monitor. Because some readers can think as follows: If a thread from the entry set wins the competition, the notified thread will go back to the wait set. Then must the thread be re-notified in order to leave the wait set? I think that the following figure would be better to explain the behavior of the threads. https://www.hyuki.com/dp/sync.gif In this figure, (1) A new grouping "A Blocked Thread" is introduced. (2) One of the doors between [The Owner] and [Wait Set] is closed. (Threads in [Wait Set] cannot enter [The Owner] directly) (3) A new door outside [Wait Set] is opened and notified threads will go to the [Entry Set]. (4) This figure does not explain the acquiring and releasing "multiple locks" of a thread. By the way, I think your [Entry Set] notion is very useful to explain the behavior of the thread synchronization. ---- Hiroshi Yuki <hyuki@hyuki.com> https://www.hyuki.com/info/eprofile.html https://www.hyuki.com/ http://www.textfile.org/ Pray without ceasing. (Bible, I Thessalonians 5:17)
今回のことで、 やはり「著者に確認する」というのはとても有効であることがわかった。 返事の保証はないけれど、返事がもらえる可能性は高い (Doug Lea先生にメールしたときもそうだったし、 以前JLSのtypo指摘をしたときもGuy Steeleさんからメールをもらえた)。
それから急いで書いた英文メールでも、 けっこう意味は通じるものだということも再度確認。 もっとも、今回の話は図を描いてURLを送っておいたことで理解がしやすかったかもしれないが。 おっと、日記にコピーするときにスペルミスと三単現のsのミスを多数発見(^_^;
上で、わざわざ私の書いた(たぶん変な英文の)メールを公開しているのには2つ理由がある。 1つは、英語に詳しい人がより正しい表現を教えてくれないかなあ、という期待。 もう1つは、著者にメールを送ったり、 バグの指摘を送ったりすることをいままでやったことがない人に、 「こんな英語でも一応通じるんですよ」ということをわかってもらいたいから。 電子メールがこれだけ使える現代にいるんだから、 (英語を書くのをおっくうがっている)技術者の方も、 英文メールを書きましょうよ、というおすすめです。
もちろん、正しい英語が使えるように勉強するのも大事なことです。 でも、正しい英語が使えるようになるまでメールを書かない、 というのは間違った態度だと思います。 ともかく現在の自分の英語力で何とか書いてみよう、 相手に自分の意図が伝わるように努力して書いてみよう、 とする態度はとてもよいと私は思っている。 まず、それ自体が大きな勉強になる。 それに、つたない英語であっても相手に伝わるという実感が、 さらに勉強する意欲に結びつく。
結城は修正版の図でも少し気になることがあるので、 またBillさんにメールを書こうと思っている。
(後日談)ありがたいことに、 私の英文を添削するメールをいただきました。
日記のフォーマットを少し変更して、 最新日の日記だけが https://www.hyuki.com/diary/ に来るようにしました。 他の日の日記は https://www.hyuki.com/diary/diaYYMM.html に来ます。こちらには最新日の日記も含まれます。 YYは西暦の下二桁、MMは月(01〜12)です。 スクロールして読みたい方や、 個別の日にリンクしてくださる方は、こちらの方をお使いください。
変更の理由は以下です。
また変更するかもしれませんが、 試験的にこれで進めてみます。
7歳の長男が、眠るときに、 「ねえ、お父さんの子供のときの話をして」と言う。
お父さんが小学生のとき、夕方になると、学校のグラウンドで、 「もうおうちに帰りなさい」という音楽が流れる。 そうしたら、おうちに帰る。 帰る途中、夕焼けが見える。カラスもおうちに帰る。
家に帰ると手を洗って、うがいして、晩御飯になる。 晩御飯が終わると、畳の上にごろんと寝転ぶ。そうすると、 そこには昨日読みかけた本が置いてあるから、 続きを読む。お父さんもごろんと寝転んでいる。
長男「それは、○○じいちゃん、っていうことだね」
そう。 お父さんのお父さんは、寝転びながらいろんな話をしてくれる。 話をしながら、小さな紙に説明図を描くこともある。 どうして電気は流れるのか。電話で音が伝わるのはどうしてか。 星のこと、月のこと。混ぜ合わせるとドカンと音がする薬のこと。 お姉ちゃんもそこにいる。 そんな話をしていると、お母さんはリンゴをむいてくれる。 おばあちゃんは入れ歯を外したりする。
長男「ぎゃはは」
7時のニュースが終わるころに、家族のみんなはそれぞれの部屋に行く。 お父さんは書斎に行ってアマチュア無線をする。お母さんは食器を洗って ぱたぱた片付けものをする。おばあちゃんは寝床にいって、大音量で テレビの捕物帳を見る。お姉ちゃんは二階の部屋で勉強。 そして私は、自分の部屋で本を読む。
九時になると、ニュースセンター九時を見ながら、 また食卓でお茶の時間。それからお風呂。 そして眠る。
——お父さんが子供の頃は、そんな毎日をおくっていたよ。 同じようでいて、少しずつ違う。違うようでいて、何だか同じ。 そんな毎日。
長男はもう眠っていた。
質問
はじめまして。 結城さんの書いた「絵本を読むときのパターン・ランゲージ」や 「技術系メーリングリストで質問するときのパターン・ランゲージ」を読んで、 面白いと思い、メールしています。 パターン・ランゲージってどういうものなのでしょうか?
回答
結城の書いたものを読んでくださり、 またフィードバックを送ってくださり、ありがとうございます。 とてもうれしいです。
パターン・ランゲージとは何か? という質問については、とりあえず、以下をご覧になってみてください。
パターン・ランゲージ(パターン言語と呼んでも同じです)の話をする前に、 パターンの話をした方がいいでしょうね。 パターンというのはおおよそ次のようなものです。
「ある文脈で繰り返し起きる問題を解決する方法。 その方法にはいくつかの制約が課せられているかもしれない。 またその方法には分かりやすい名前がついている。 他のパターンとの関連も示される」
…と書いてはみたものの、あまりピンとこないですよね、きっと。 抽象的すぎるからですね。 私の書いた「絵本を読むときのパターン・ランゲージ」の中から1つパターンを抜き出してみましょう。 以下は、「いっしょに過ごすひととき」というパターンです。
「子供に絵本を読もうとしている」のがこのパターンの文脈です。 「子供の機嫌が悪かったり、親の機嫌が悪かったりして絵本がうまく読めない」というのが問題ですね。 うん、確かにそういうことは繰り返し起こる起こる。 制約はフォースとも呼ばれます。 ここでは問題を解決するための条件のようなものです。 「むりやり読むことはできない」「子供を怒らせたり泣かせたりしない」といったことです (私のパターンの書き方ではこのあたり少しあいまいです。ごめんなさい)。 この制約のために、先ほどの問題の解法として「子供が泣こうがわめこうが絵本を読む」というのはダメ、ということになります。 肝心の解決する方法は、 「絵本にこだわらずに、歌を歌ったり、親が自分の小さいころのお話をしたりしましょうね」というものです。 このパターンの名前は「いっしょに過ごすひととき」です。 解法のエッセンスを短い言葉で表現し、覚えやすく、人に伝えやすくしたものですね。 パターンの関連として、パターンのはじめと終わりにいくつかのリンクが示されています。
「なーんだ、パターンっていったって当たり前のことを書いているだけじゃん」と思われますか? そのとおりです。パターンは目新しい考えをむりやり作り出したものではありません。 みんながある程度意識していること、熟練した人が繰り返し問題を解決してきた方法、それがパターンです。 そしてそれらに一定のフォーマットを与え、まとめて記述したもの、それがパターン記述となります。
パターン記述のやりかた、すなわちフォーマット、またはテンプレートにはいろんな種類がありますし、 パターンを書く人が自分のパターンを書きやすいように(そして読者に読みやすいように)作成・修正したりします。 前述した結城のパターンの書き方はAlexanderという人が作ったフォーマットにほぼ従っています。
さて、ここまででパターンの話はおしまい。 今度はパターン・ランゲージの話をしましょう。 パターン・ランゲージは簡単に言えば、パターンを集めたものです。 でも単にパターンを集めればいいってもんではありません。 それらのパターンは相互に関連しあい、また補完しあいます。 ばらばらのパターンを集めたものではなく、緊密な関係をもったパターンたちを集め、 そしてその関係を十分に意識して記述したもの。それがパターン・ランゲージになります。
パターンが解法をあらわしたものだとすれば、 パターン・ランゲージは、解法の集合によって、文脈全体を描き出したものともいえます。 例えば、「絵本を読むときのパターン・ランゲージ」では、「子供に絵本を読んであげる」という文脈(コンテキストと呼ばれることもあります)を 描き出しています。 また、「技術系メーリングリストで質問するときのパターン・ランゲージ」では、タイトルの示す通り、 「技術系メーリングリストで質問する」という文脈を描き出しています。
このように考えてくると、 いろんなハウツーもの、心がけ、コツ、Tips集といったものは、 うまく表現すれば、パターン・ランゲージになりうる可能性を秘めていることがわかるでしょう。
パターンという考え方を、ソフトウェアの開発(特に設計部分)に適用したものが、 よく耳にするデザインパターンです。 分析に適用したものがアナリシスパターンらしいです (らしいです、というのは結城はアナリシスパターンのことをよく知らないからです)。
あなたは、 きっとパターンやパターン・ランゲージに興味があることと思います。 ぜひ、以下のリンク先のページをごらんになって、 あなたもパターンやパターン・ランゲージを書いてみませんか。
また、結城が管理しているデザインパターン・メーリングリストに参加してみてください。 主にソフトウェアよりの話題が多いですけれど、 パターンに関する意見や質問、パターンの紹介などを歓迎しています。
なお、結城はパターンというものを面白いと思って、 自分で勉強したり書いたりしていますけれど、 私に何か権威があるわけではありませんし、 パターンの専門家というわけではありません。 上に書いたこともずいぶんおおざっぱな話にすぎません。 念のため。
でも、パターンを書いたり、パターン・ランゲージを書いたりすることというのが、 わくわくするほど楽しいことである、というのは保証します。 ぜひいろいろやってみましょう!
Enjoy patterns!
午前中は礼拝。 お昼寝の後はお仕事。
「よかった探しリース」の参加者は現在17ページ。みなさん、ご参加感謝します。 ぜひあなたもご参加くださいね。
クリスマスはイエスさまが生まれた日を記念するときですね。 イエスさまが生まれた日付けは聖書に書いてありません。 12月25日に生まれたわけではないので、 クリスマスを祝うことは聖書に反していると考える人もいるようですが、 私はそうは思いません(そう考える人の意見も尊重しますけれど)。 何月何日に生まれたことがわかっていなくても、 イエスさまが生まれたことは歴史上きわめて重要な出来事です。 神といういと高き存在が、わたしたちの罪のみがわりとなるために人間の姿をとって、 しかも「赤ちゃん」という本当に弱いかたちをとられたことは、 どれほど深い意味を持つでしょうか。 人類にとって、いや「わたし」にとってそれはどれほど大きな意味を持つのでしょう。 神さまは十戒を通して、律法を通して(つまりは旧約聖書を通して)、 人間はこう生きなさい、これが幸せのカギである、ということを教えてくださいました。 しかし、人間はそれを守ることができません。 このままでは人間は、その罪の——つまりは自分中心の考えの——ゆえに、死を迎えることになります。 罪の報いは死だからです。 神さまのひとりごが、イエスさまという一人の人間の姿をとられたのは、 1つには、律法という言葉だけではなく、 具体的な実例としての人間となって「愛」を教えてくださるという意味があります。 イエスさまの教えだけではなく、イエスさまの歩んだ人生そのものが、 私たちのお手本となるのです (それはまた、WWJD ... What Would Jesus Do? というスローガンでもありますね)。
イエスさまの人生を聖書を通して学ぶと、 確かにイエスさまはすばらしい教師なのですけれど、 単に教えただけではないことがわかります。 人生のはじめからイエスさまの姿は謙遜でした。家畜小屋で生まれたことの意味を考えましょう。 きたない家畜小屋にやってきたイエスさまは、きっと私の汚い心の中にも来てくださるでしょう。 心がきれいになってから神さまがやってくるのではなく、 心をきれいにしていただくために、心がまだ汚いうちにでもやってきてくださるでしょう。 心を開いてお迎えしましょう。
イエスさまの奇跡は人を励まし、人の病をいやし、希望をうしなった人に光を与え、 死んだ人を生き返らせました。 これはどんな意味を持つでしょう。 イエスさまを信じる人には、どんな人にも最善のすばらしいことが起こります。 人間の想像を越えた不思議なことが起こります。 「ああ、おれは生きているんだか死んでるんだかわからない。 毎日生活しているんだけれど、はりあいがない、これはまるで墓場の中にいるのも同じだ」 という人はいるでしょうか。 イエスさまはそのようなあなたのところにやってきて、 ラザロよ、墓から出てきなさい、というでしょう。 タリタ・クミ、起きなさい、というでしょう。 死んだ人を生き返らせることができるイエスさまは、 死んだようになっている人に本当の人生を与えてくださるでしょう。
イエスさまの十字架を考えましょう。 イエスさまは不正な裁判によって、無実なのに十字架につけられました。 信頼していた弟子たちからものの見事にうらぎられました。 つばをはきかけられ、むちうたれ、みんなのまえで十字架にかけられて殺されました。 これ以上のはずかしめがあるでしょうか。 この十字架にはどんな意味がありますか。 「ああ、わたしは誰からも大事にされない。 信頼していていたあの人からは裏切られ、 せっかくがんばっていたのに、無視され、 だれからも大事にされない。 体はよわいし、能力はなにもない、 自分の持っているものまで全部とられてしまった。 私のことを理解してくれる人はこの世に一人もいない」 こういう思いを抱いている方はいるでしょうか。 イエスさまは、そういうあなたのお気持ちをご存知です。 なぜでしょう。 イエスさまは、あなたとおなじ目にあわれたからです。 しかも、自分にはまったくなんのとがもないのに。 イエスさまはあなたの気持ちをご存知です。 あなたのことを、誰よりもよくご存知で、 あなたの感じているいきどおりも、つかれも、無力感も、 すべてご存知なのです。 そしてイエスさまは、あなたのことを愛しています。 ほかの誰一人としてあなたのことを見向きもしなくても、 イエスさまは、あなたのことを丸ごと愛し、大事に思っておられるのです。 だからこそ、イエスさまはあなたが死ぬ身代わりとして十字架にかかったのです。
イエスさまの生涯は十字架の死で終わったのではありません。 イエスさまは3日の後によみがえりました。 死に勝ったのです。 そして、どん底から天上へとのぼられました。 これは、どん底にいる私たちもいっしょに引き上げるためです。 イエスさまはわたしたちといつもともにおられ、わたしたちを愛し、わたしたちの命を救ってくださるのです。
もうすぐクリスマス。
クリスマスは、このようなすばらしいイエスさまの誕生をお祝いするときです。
イエスさまは、ほかならぬあなた——いまこの日記を読んでいる、ほかならぬ あなた——のために、 ちいさな赤ちゃんとなって、この地球にこられたのです。
イエスさま、ありがとう。神さま、感謝します。
もしあなたが、イエスさまのこと、神さまのこと、人間のことをもっと知りたいなら、 ぜひ以下のリンクをごらんください。
もうすぐ、クリスマスですね!
一週間お疲れ様でした。という休日。 Webページのあちこちのリンク切れを修正など。
Googleをはじめとする強力な検索エンジンがあるために、 情報収集を目的とするただの「リンク集」というのは意義を失っているような気もする。 ただし、きちんとしたコメントがついたリンク集は重要。 編集の技術、というんでしょうか。 ちゃんと編集され、適切なコメントがつき、編集者のフィルタをとおったリンク集というのは 価値があるように思う。 その編集者と波長が合う利用者にとっては。
www.textfile.org(テキストファイル・オルグ)は、私が編集しているリンク集だけれど、 そのような「結城浩のフィルタを通ったリンク集」 としての価値を見出してくれる人に利用していただければいいなあ、 と思っている。作る私は楽でして、 「これ、よさげ」と思ったページをリンクしていけばいいだけの話ですから。
www.textfile.orgを立ち上げたのは、昨年の12月頃。 もう一年になるのですね。 結城のメールのシグニチャ(署名)で宣伝しているけれど、 現在www.textfile.orgは一日100〜150くらいのアクセスがあるようになりました。 寡黙なリンク集ですけれど、私にはとても愛着があります。 一時ドメイン検索に凝っていた頃、ある日、 ふとtextfile.orgというドメインが残っていたのを見つけました。 テキストファイルが大好きな私は、 「おおっ、これは私がとらねば」 と思って衝動買いしてしまったのです。
現在のwww.textfile.orgはリンク集ですけれど、そのうちもっと膨らませて育てていきたいな、 と思います。
自分が持っている独自ドメインというのは1つのノウアスフィアです(『ノウアスフィアの開墾』を参照)。 そこを自分の活動の拠点とし、自分独自の何かを展開していくインターネット上の立脚点であり、 独特の空間です。 最近独自ドメインのfreedomcat.comを取得したshinoさんはそれを「アトリエ」と表現していました。 ゴスペル俳句の活動をしているみのるさんは、 そのままズバリgospel-haiku.comというドメインを取得。 結城の文章をよく引用してくださっているサイト「気分はノースサイド」では、 独自ドメインのclub-siesta.comを取得。 結城の古くからのネットのお友達のイリエさんは、名前をもじったiriex.comを持っている。 山形浩生さんは、個人用にcruel.orgを持ち、さらにプロジェクト杉田玄白用にgenpaku.orgを持っている。 森山和道さんのドメインはmoriyama.comだ。 礼奈さんと健吾さんは二人合わせてreiken.comを持っている。 それぞれの人が、それぞれの思いを込めて独自ドメインを取得し、 自分なりの活動を展開している。
「独自ドメイン」というのは、 なんだか深い意味があるように感じる。
あなたのご意見・感想をお送りください。 あなたの一言が大きなはげみとなりますので、どんなことでもどうぞ。
何かの理由でうまく送れない場合にはメール hyuki@hyuki.com でお願いします。